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ヨムヨムエブリデイ

僕の好きな文庫本(7)

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レイモンド・カーヴァー『ぼくが電話をかけている場所』(村上春樹訳、中公文庫)

カバー・落田謙一

日本で最初に翻訳出版されたレイモンド・カーヴァーの作品集で、マイ・ファースト・カーヴァーでもある。日本の読者に紹介するために訳者がセレクトして編んだ作品集で、同じ趣旨のものが『夜になると鮭は‥‥』(中公文庫)『ささやかだけれど、役にたつこと』(文庫化していない)と続けて刊行されている。
その後、和田誠デザインによる函入りのチャーミングな全集が出て、さらに時を経て、手軽な新書サイズの村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)に収められた。全集となると、中には出来のよくないものもあるので、それを全部訳すのはしんどかったといったようなことを訳者が何かに書いているのを読んだ。
どれか一冊選ぶとしたら、ベリーベスト的な『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』(中公文庫)かと思うが、アメリカにこんな素晴らしい短篇小説作家がいるから、みんな読んで!という前のめりの熱が込められた、この最初の一冊がいちばん好きだ。初めて読んだときの衝撃は今でも忘れられない。「出かけるって女たちに言ってくるよ」のラストの石!
歳とともにこちらの感受性も鈍り、何かを読んでこのようなフレッシュな衝撃を受けることはもうなかろうと思っていたが、それがあったんですよ。ルシア・ベルリン、略してルシベル。

MUGO・ん

国の中央のほうのグダグダが、我々末端の現場にまで及んできて、毎日グダグダが加速している。何をどうしたらここまでグダグダになるのだろう。

疲れ果てた帰路、前を歩いている女性に抱っこされた赤ちゃんと肩越しに目が合う。じーっと顔を見つめてくるので、ニッと笑いかけると、満面の笑みを返してくれた。こちらはマスクをしていて、目しか出ていないのに。親しい友人から、どんなときも目は笑ってないよねとか、目が死んでるとか、目が空洞とか散々言われてきたが、案外、目だけで通じるものなんだーと嬉しい。笑いかけると笑ってくれるを何度かやっているうちに、道が分かれ、母子がだんだん遠ざかって行った。軽く手を振る。

松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』を読んだ。松浦寿輝は何冊か読んできたが、なんとなく、鼻につくとか、いけ好かないとか、しゃらくさいというイメージ(すみません)があり敬遠していたのだが、これはよかった。朝と昼休みと帰りに1、2篇ずつ読むのが待ち遠しくてたまらなかった。読み終え、もっと寿輝を!となって、巻末の広告に載っていた『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』を読み、『BB/PP』を読んだ。ひさびさの掘り返し読み。楽しい。
最近他に読んだ本。朝吹真理子『だいちょうことばめぐり』、小林聡美『わたしの、本のある日々』、『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』、岸政彦・柴崎友香『大阪』、千早茜『しつこくわるい食べもの』、ジュリア・フィリップス『消失の惑星』など。いかにも自分の好みそうな本ばかりで、自分が自分の鼻につく。

夕飯を食べながら流していた三島賞・山周賞記者会見で、しゃべる江國さんと未映子を見られた。ナマ乗代雄介まで。未映子の話のうまさが光っていた。
1(←リフティングの回数)

小鳥

こどもの日。カレンダー通りの4連休。冬用の寝具の入れ替えや、読書、見逃しドラマや映画などであっという間に終わる。隠居したらこんな日々が続くのかと思うと楽しみで仕方がない。

梨木香歩『炉辺の風おと』を読んでいたら、「誰の手も時間も取らず、一人だけで満ち足りてきげんよくしていられるというのは、実は最も尊い才能の一つではなかろうかと思っている」(p.219)とあった。幼少の頃から一人できげんよく過ごすベテランだった自分は、それが一般的だと思っていたのだが、コロナで少数派であることを知った。
だって、仕事でもプライベートでも、「俺を、ボクを、あたしをきげんよくさせてくれよ」という人が周りにうじゃうじゃいて、いやはやすごいですねーとその都度褒め称え、持ち上げ、顔色をうかがい、それを繰り返していると、自分のきげんがすり減り、ぺしゃんこになってしまうの大変じゃないですか。あと、森博嗣のエッセイにはイラッとさせられることが多いのだけれど、『ツベルクリンムーチョ』のソーシャル・ディスタンスについての記述には思わず首肯した。

エコバッグに財布と読みさしの本を入れて買物に行き、よさげなベンチでもあればそこでしばらく本を読み、時間を気にせず書店やブックオフを覗いて帰る。休日の楽しみ。小山田浩子『小島』(新潮社)を買う。豊崎さんが、小山田浩子は日本文学界の「いきものがかり」とうまいことを言っているが、この本のことをずっと『小鳥』と思い込んでいた。ええと、ことり、ことり、『小鳥』ゲット!と喜び勇んで帰り、初出一覧を開くと、群像、文學界、文藝、早稲田文学、たべるのがおそいなど多岐にわたっているのに新潮社から刊行ということは、相当新潮社から愛されている作家なんだな、新潮新人賞出身だからな、装幀もいつも気合が入ってるしな、そしてじっくり表紙を見て、やっと『小島』に気づく。ことりじゃなくてこじま!衝撃!

僕の好きな文庫本(6)

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川本三郎『ちょっとそこまで』講談社文庫

カバー装画・安西水丸 解説・池内紀

3度目の緊急事態宣言ということで、安西水丸カバーしばりも3連発目。4月24日から世田谷文学館で開催予定だった安西水丸展も、24日に始まったぞと思ったら、25日から休館になってしまった。ただ町をぶらぶら歩き、映画を見て、本屋をめぐり、コーヒーを飲んで帰るだけのことが無上の喜びとなったのは、川本三郎のおかげ。元祖は植草甚一か。この文庫本の中でも、日暮里駅で下車し、谷中の商店街で佃煮と漫画アクションを買い、愛玉子でオムライスとビール、上野に出てにっかつ2本立てを見て、銭湯で汗を流して帰るという黄金のコースを歩んでいる。小諸そばの小梅、赤城しぐれ。遠くには行けなくても、「ちょっとそこまで」ならいつでも行ける。

NAE・NAE 16

休み。昨夜の残りの筍ごはんを食べてゆーっくりコーヒーを飲んだあと、予約していた美容院に散髪に。歩いていると暑いくらい。いつも切ってくれる美容師の人から「何かストレスでもありました?頭皮がカッチカチですよ、尋常じゃない硬さです!」と言われる。ストレスはまあ一年中なんだけど、でも硬い頭蓋骨に、薄い頭皮が張り付いているんだから硬いのが普通じゃないの?むしろぶよぶよ軟らかい頭皮のほうが変じゃない?と訊くと、軟らかくていい頭皮は、頭蓋骨の上でよく動くのだそう。毎日するとよいという頭皮マッサージ法を教えてもらう。何はともあれ、岩のような硬い頭皮に生えている髪を切ってさっぱりした。散髪帰りの4月の風が気持ちいい。散髪の帰りの道で会う風をゼリーにして保存したい。岡野大嗣と立原道造が混ざってる。

津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』を読み終える。最初、この本の冒頭の住宅地図を見た時、ジョン・マグレガーの『奇跡も語る者がいなければ』を連想したのだが、著者のインタビューに、きっかけはマーガレット・ミラーの『まるで天使のような』とロス・マクドナルドの『さむけ』、それに探偵!ナイトスクープを入れたとあったので、今『まるで天使のような』を読んでいる。5年程前に黒原敏行による新訳が刊行され、再読する気MAXだったのに、例によって、読む気が萎え萎えシックスティーンになってしまっていた。でも、萎えた本もこうやってよみがえることがあるのがいいところ。文庫化や映画・ドラマ化や古本屋によっても萎えが復活する。

とんかつ屋ヒレカツランチを食べ、コーヒーを飲みながら『まるで天使のような』を読み、散髪帰りの風を満喫しながら帰路に就く。夜、岩のような頭皮をマッサージ。