いつでもどこでも座りたい派

午後半休。今月に入ってから初めての平日休み(半休だけど)。うれしい。ランチは何を食べようか、午前の仕事中、頭の中はこればっかり。とんかつか、ナポリタンナポリタンしたナポリタンも食べたい、アジフライとかハンバーグの定食もいいな。その前に午後1番で歯医者の予約を入れていたのだった。ランチはそのあとのお楽しみ。先日、奥歯の詰め物が取れたのだが、おいしくモグモグ咀嚼していて、ガリッと歯の詰め物が取れた時の絶望感は、人生の絶望感のかなり上位にくる。なにかすべてがうまくいかなくなる気がする。ほんの小さな詰め物の破壊力おそろしい。米粒ほどの大きさなのに、口中にあるとゴルフボールぐらいに感じる。
歯磨きして退勤後、歯科へ。いきなり麻酔を打たれて治療。終了した時には顔半分の感覚がなく、ランチどころではなくなっている。麻酔とマスクは相性がいい。喉の渇きを感じ、カフェラテをテイクアウトして、片方の口の端からダーッと垂れないよう注意しながら、微妙に歯科の薬品フレーバー付のカフェラテをすする。座る所があればとりあえずいつでもどこでもとにかく座りたい派なので、ちょうど空いていた木のベンチに腰かけて、変な体制で飲み物をすすりつつ、小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)を読む。表題作を読み終えると、口の感覚もかなり戻ってくる。腹ペコの限界で、マックで月見バーガーセットをテイクアウトして帰る。

読んだ本。黒井千次『枝の家』(文藝春秋)、蛭子能収『おぼえていても、いなくても』(毎日新聞出版)、千早茜『ひきなみ』(KADOKAWA)。

夏の本

先週から気温がぐっと下がり、涼しいを通り越して肌寒いくらいで、すっかり秋の気配だ。今年は夏が短かったな。でも終わってしまえば何だってそう感じるのではないだろうか。

読んだ本が、それを読んでいた時の場所とか季節の匂いとともに記憶されることがあるが、なにしろ一年中、どこでもどの季節も本を読んでいるのですべての本がそうであるわけではない。読書の記録を振り返って、そういえばこれ読んだの正月休みだったんだとか、桜の季節だったんだとか後付けで認識することも多い。それでもたまに強く印象に残る本があって、今年の冬は、小山田浩子の『庭』(新潮文庫)だった。白とグレーと黒といういかにも冬っぽい色合いの文庫本を紺色のコートのポケットに突っ込んで歩いていたこと。知人を待つベンチで、右手だけ手袋を脱いでかじかむ指でページを繰っていたことなどを記憶している。

今年の夏の本としてあらたに記憶されたのは、阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版)だ。鮮やかなピンク色のカバーに黒いオビ、川名潤によるかっこいい装丁。日々過去最高を更新する感染者数や、オリンピック・パラリンピックの喧騒や、雨続きで順延順延の甲子園の夏が、波乱万丈の展開をみせる2段組み約500ページと結びついている。本のなかの季節は、夏ではなかったのだけれども、ページのこちら側にいる私は汗だくだった。

僕の好きな文庫本(11)

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村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』上下(新潮文庫

カバー・司修

「こんばんは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村上春樹です」
単発でやっていた頃から、月いちのレギュラー番組になるまで『村上RADIO』をずいぶん聴いてきたのに、いまだに冒頭の「こんばんは」と「村上春樹です」の間がなげえわ!と思ってしまう。そうくるとすでにわかっているのに慣れなくて、間の存在感にいちいちびっくりさせられる。
8/29の村上作品に出てくる音楽特集の放送を楽しく聴いていて、自分は初期の村上作品が好きだったんだと改めて感じた。この『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、4作目の長編小説で谷崎潤一郎賞受賞作。「春が過ぎ、夏が終り、光が微かな透明さを帯びはじめ初秋の風が川の淀みに小波を立てる頃」になると決まって読み返したくなる。世界の終りパートにも、ハードボイルド・ワンダーランドパートにも好きなシーンがたくさんある。地図まで付いている。文庫版は(単行本版も)カバーが何度かリニューアルされているが、函入りの純文学特別書き下ろし作品のデザインを受け継いだこの文庫に愛着がある。

一日一篇

ツクツクボウシが鳴き、夜には虫の声が聞こえ、夏も終わりの気配、と思っていたら暑さがぶり返す。毎日疲れる。

本の雑誌」の9月号をパラパラしていたら、61歳の女性の出したお便りのところで手がとまる。その人は、トーベ・ヤンソンのファンで、31篇の短篇が収められた『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』を1日1篇ずつじっくり味わいながら、ちょうど1ヶ月で読み終えたのだとある。本当に楽しんで読んでいる様子がうかがわれるのがよかった。
31篇をジャスト1ヶ月でというのが素晴らしいではないか。じゃあおまえも31篇を1ヶ月で読めばいいじゃないかと思われるかもしれないが、私にはきっと無理だ。7篇入った短篇集を1日1篇ずつ1週間で、とかならできそうだが、31篇となると、今日のは短いからもう1篇読んじゃえ、さらにもう1篇とどんどんエスカレートして1ヶ月ももたないと思う。抑制がきかない。車を運転していて、青信号になったら真っ先にスタートしないと気がすまない性格がこういうところに出てくるのか。

友人からまた茄子をもらう。焼きなす、茄子の煮浸し、麻婆茄子など茄子一択。五郎さんのように白飯の上に麻婆茄子をかけてかきこむ。おいしい。初梨も食べる。『ブラック・チェンバー・ミュージック』、『LAフード・ダイアリー』、『養老先生、病院へ行く』を読んだ。

500ページの壁

何の休みかよくわからない連休や盆休みが終わり、通常モードに戻る。いつもはお土産のお菓子コーナーが賑やかだが、今年はまばら。たぶんどこかに行っていても後ろめたくて何も買わないのだろう。昼休み、その少ないお菓子の中から神戸のおかき巻きを食べる。しょっぱいと甘いがくせになる。やっと昼休みの読書タイムも通常モードに。

孤狼の血』からの『盤上の向日葵』を読み終え、柚月裕子はちょっとお休みして、阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』読み中。2段組み500ページ弱。前から自分には500ページの壁というものがあって、上下本や文庫本だとまた違うけれど、一冊の単行本を手に取るのに、500ページぐらいまでならまあ抵抗がない。佐藤究『テスカトリポカ』560ページ、小池真理子『神よ憐れみたまえ』570ページあたりが許容上限ギリギリといったところ。600ページを超えるとまったく手がでなくなってしまう。
他に読んだ本。村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』、『ブックデザイナー・名久井直子が行く 印刷・紙もの、工場見学記』、『台北プライベートアイ』。よい盆休みだった。友人が、コロナだから夫の実家に行かなくていいと喜んでいた。

新聞の高校野球欄の横っちょに細く載っている中島セナのポカリの広告シリーズがちょっとした楽しみ。『ウィーアーリトルゾンビーズ』のむっちゃ機嫌悪そうなイクコにノックアウトされて以来目が離せなくなっている。CMなどに出ていると「あ、イクコ!」とつい目がいく。インパクトのあった役名でずっと記憶するのはよくあるパターンで、鈴木亮平はいまでも村岡印刷さんだし、山田真歩は宇田川先生だ。