僕の好きな文庫本(10)

f:id:yomunel:20210720204450j:plain
長嶋有『タンノイのエジンバラ』(文春文庫)

カバー・斎藤深雪 解説・福永信

「群像」8月号の特集「長嶋有の20年」を読んだ。自分が『タンノイのエジンバラ』に出会ってから、もう20年近くもたったのだ。その時読んだのは、高野文子の挿画が表紙の単行本版だったが、当時の自分にとてもしっくりきて、以来、新刊を楽しみに読み続けてきた。その都度、面白かった。でももし最初に読んだのが、芥川賞受賞作を収めた『猛スピードで母は』だったら、ハマっていなかったかもしれない。最初の一冊って責任重大だ。縁があれば、読み続けるし、なければそれっきり。運命の分かれ目。で、20年後の今、『猛スピードで母は』を読み返してみたらどう感じるか?ちょっと楽しみでもある。

短い一日

休み。16日に梅雨明けし、太陽ギラギラ、いきなり夏本番という感じ。俺のキッチンにも「海の家」が開店した。焼きそば、カレー、素麺、冷やし中華、ところてん。町に出ると、人がわんさかいて、もはや緊急事態宣言なんか関係なさそう。「緊急取調室」のほうがよほど緊急みがあると思う。
先週は、ボーナス&誕生日ウイークだった。コロナ対応の業務により仕事量は激増しているが、総仕事数が1~2割減少しているため、ボーナスは少しカットされた。割が合わないけれどいただけるだけありがたいと思うべきなのかもしれない。コロナ前は毎月その月の誕生日の人達をハッピーバースデイとともに祝うお誕生日会が開かれていたが、それもなくなりホッとしている。
鰻を食べて、ショートケーキと本を買う。本は、満を持して、滝口悠生『長い一日』(講談社)付録付き。もうこれだけで天にものぼる気持ち。短い日曜日が暮れる。

サトウのごはん

暑い一日。仕事終わり同僚と駅まで。途中コンビニに寄りアイスクリームを買って食べる。すっかり夏の気配。同僚と別れ、スーパー、本屋を巡り帰宅し一息ついたら、すごい雨が降りだした。昨夜から始まった『孤独のグルメSeason9』を見ながら夕ごはん。五郎さんもマスクをしている。何年かあとに、これの再放送を見ながら、そうそうあの時はみんなマスクをしていたよねー、なんて言えるようになっているだろうか。

松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』を読んだ。いつもの「ブラボー俺たちの青子!」といった読み心地で、今回もすごくいい。見返しのトゥルトゥルの紙の青がきれい。顔が映る。この本所収の「誰のものでもない帽子」は、サトウのごはん小説だと思った。子供を連れて経済DVの夫から逃れホテルで暮らす主人公が、スーパーでフリーズドライの味噌汁やカップラーメンなどの食料品を買うのだが、サトウのごはんだけ商品名で登場する。読むこちらも、ああ、サトウのごはんねとすぐわかるので、サトウのごはんはすごいと思う。

先日、日経新聞に載っていた南木佳士のエッセイ「本を棄てる」を読み、急に興味がでてきて、『根に帰る落葉は』(田畑書店)と『猫の領分 南木佳士自選エッセイ集』(幻戯書房)を借りてくる。小説は昔何冊か読んでそれっきり。それと、小池真理子のエッセイ集『感傷的な午後の珈琲』も。朝日新聞の連載エッセイ「月夜の森の梟」が終っちゃったので他のエッセイを読んでみたくなって。

この時期になると、もし講談社エッセイ賞が続いていたら今年は何だったのだろうと考えてしまうが、今年は佐久間文子『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(新潮社)です。

七月の鯨

f:id:yomunel:20210703220433j:plain
今年も30日に夏越の大祓の茅の輪をくぐり、なんとか無事に上半期を終えた。もう7月だなんて。
今朝は、土砂降りの中、出勤。ドロドロ。ここのところ呉明益『複眼人』(KADOKAWA)を読んでいるのだけど、もう1冊なにか軽めのものをと思い、なんとはなしに東直子穂村弘『短歌遠足帖』(ふらんす堂)をかばんに入れる。昼休み、おにぎりを頬張りながら本を出したら、どちらの表紙にもクジラがいて、あら、と思った。だから何?と言われればそれまでだが、こんなしょうもない偶然で気持ちなんて結構弾んじゃうものなのだ。ちょろいね。帰りは雨もあがり、買い込んだパックの寿司とおやつと傘をぶらぶらさせて、疲れてはいるけれど気分よく歩く。

直角

ずっと曇り空。明日は休みだ。退勤時あまりにうれしくて、ニュースゼロのエンディングで「今夜もゼロにお付き合いいただきありがとうございました」とお辞儀する有働さんのように腰を直角に折って「お疲れ様です」と言う。直角のお辞儀、意外と難しい。ふくらはぎがぶるぶるする。

あの人元気かな?と、たまーに思い出して訪れるブログがある。小さな写真と文章のこぢんまりとした佇まいのブログで、そんなに頻繁には更新されない。Twitterとかもやっていないので、外でスマホを見る習慣がないのだが、仕事の帰り、ふと思いつき、しばらくぶりで覗いてみた。山に登ったり、銭湯に行ったり、出張したり、本を読んだり、映画を見たりの日々の生活が淡々と綴られていて、ああ、相変わらずなんだ、よかったと思った。「その人が笑っててくれたら、あとはもう何でもいい、そういう感じ」と大豆田さんが言ってたのは、こういうことなのかな。顔も本名も知らない、かすかに接点があっただけなのに、どこかで、日々変わらず生活してるんだと思うと、もうそれだけで心強いような気がする。広大なネットの海に小石を投げるようなものかもしれないけれど、投げた小石は自分のところにちゃんと届いて、くたびれてヘロヘロの帰り道が、ヘロぐらいになった。