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season2

謝肉祭

キーンと冷えた朝の空気のなかを駅へと急ぎながら最近よく思い出すのが、ルシア・ベルリンの「ティーンエイジ・パンク」だ。学校をドロップアウトした息子の友人と冬の早朝にツルを見に行く話で、ツルを見た後ふたりで寝そべって魔法瓶に詰めてきたコーヒーを飲むシーンが心に残る。この夏に初めて読んだときから好きだったが、季節が追い付いてきてますます好きになった。季節による熟成。

休み休み読んでいた、山崎ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』を読み終えた。「ブスの敵は美人ではなく、ブスを蔑視する人だ」(p.8)ブスにとどまらず、社会にはびこるルッキズムジェンダーに関する問題をひとつひとつ丁寧に掘り下げていき、こんなおかしな社会を変えたいと結ばれている。あちこちで立ち止まり考え込みながら読むので時間がかかった。

そのあと手に取った「文學界」12月号の村上春樹「謝肉祭」の冒頭が「彼女は、これまで僕が知り合った女性の中でもっとも醜い女性だった」だったので、こ、これは、なんとまあ!と思った。語り手の「僕」がこれまでに出会った思い出に残るブスについて語る。その醜い女性とは音楽の趣味が合いかなり親しくなるが、「僕」の妻は、夫と彼女が性的な関係を結ぶかもしれないというような疑念は全く抱いていない。「それは彼女の醜さがもたらしたなによりの恩典だった」しかし「僕が彼女と寝なかったのは」と話は展開してゆく。もう一人のブスの女性は「容姿の優れない女の子」と記されている。容姿が優れた女性は似通っているが、醜い女性はそれぞれ。語り手の「僕」は、ブスを慮らなくてはいけないという既成概念を持たない自由な人なのかもしれない。この話が引っかかってしまう自分のほうが、かえって既成概念に縛られているのでは、と感じた。それはともかく読後、シューマンの「謝肉祭」に手が伸びるのはどうしようもなかった。

空気の缶詰

ずいぶん前のことだけど、富士山の空気の缶詰をお土産で貰ったことがあり、ここぞという時(どんな時だ?)に開けようととっていたのだがいつの間にかどこかにいってしまった。今は、それよりも、休日の前の夜の空気を缶詰にしてとっておきたいなと思う。どんだけ仕事が嫌なのかという話なのだが、隙があれば常にいつでも逃げ出したい。明日は休みを取った。水、木曜日あたりの休みが一番好きだ。退勤後、外に出ると、休日の前の夜の空気が充満している。吸っても吸っても減らない。やはり仕事終わりの友人と待ち合わせ、家では揚げ物をしないからがっつり食べたいとのことで、とんかつを食べに行く。食後、喫茶店でコーヒーだけにするつもりが季節限定のマロンパフェを頼んでしまい苦しい。正確には、ぐ、ぐるじい~。食べ過ぎた罪悪感から二駅ほど歩いて帰る。帰って風呂で温まってから毛布にくるまって読みかけの本を読もう。でも明日の朝起きたらこの芳しい休日の前の夜の空気はすっかり消えてるんだろうな。失うもののことを前もって考えるのは自分の悪い癖だ。できるだけ長引かせようと、ビルの屋上で瞬く航空障害灯を眺めながらゆーっくり歩いた。

日本晴れ

ここ数日、雲ひとつない気持ちの良い秋晴れが続いている。朝晩冷え込んできたが、季節の歩みが例年より1~2週間遅いように感じる。コスパ最強!秋の着まわしコーデもあまり着まわさないうちにすぐ寒くなるんだろう。コンセプトは「日本晴れ」というサッカー代表のユニフォームがお披露目されていたが、いったい何をどうしたらこんなデザインになるのだろうか。ニュースの街頭インタビューで「めっちゃ、かっこいい!」と言ってる人もいたので、好みは人それぞれということか。いっそラグビーのNZのジャージのように黒一色とかに決めちゃえばいいのに。

読んだ本。島田雅彦『君が異端だった頃』(集英社)色んな実名がバンバンでてくる後半作家デビューしてからが興味深かった。小谷野敦小池昌代『この名作がわからない』(二見書房)お母様との関係は私小説になりますね、と言って、それはたぶん『母子寮前』か『ヌエのいた家』に書いてあると思うとあっさり言われる小池さんの、対談相手の著書をすべて読んだうえで対談に臨むガチガチ派ではないおおらかな感じがよかった。「小谷野さんもすごく純粋できれいな目をしてるでしょ?」とか言うの。この2冊は水戸部功装幀。あと帚木蓬生『閉鎖病棟』どんな話だったっけーと再読。

題字

はー、また月曜日。先週は雨の日が多かったので晴れているだけでまだマシな気分。昨夜、マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』(作品社)を読み終えたばかりなので、ちょっと息抜きをしたくて、ぱらぱら読み返したい文庫本を2冊本棚から抜いてかばんに入れる。

『鳴るは風鈴』は骨折小説の「山つつじ」を読みたくて。蟲文庫効果か。『タイニーストーリーズ』は文學界のエイミー特集で、長嶋有中原昌也というクセの強いボーイズがそろってこれを選んでいたので手に取った。中身すっかり忘れている。
月曜日らしい慌ただしさ。昼休み気晴らしに外に出て、森の贈りものシリーズの切手を買う。戻ると、いつもお菓子をくれる同僚がカントリーマアムをくれる。「チョコがいい?バニラがいい?」「じゃあ、バニラ」おやつとコーヒーと文庫本でやや復活。


ひよこ太陽図書室先週は、田中慎弥『ひよこ太陽』と岸政彦『図書室』を続けて読んだ。どちらも版元は新潮社で、どちらもカバーの題字は著者自身。いい感じ。こういう著者題字は、ぶっつけ本番で無造作にサラッと書いたものを使うのだろうか。それとも何度も何度も書いたものの中から厳選するのだろうか。やたら字がうますぎてもつまらない。『ひよこ太陽』を読んでいる間、どんより暗くて粘り気のある水中を進んでゆくような心地だった(面倒くさい元カノがいい!)のが、『図書室』に移ったとたん、あのまとわりついていた重さがスーッと軽くなるのを感じた。紙の上にある文字をただ読んでいるだけなのにこの体感、愉快。書き下ろしの自伝エッセイ「給水塔」もよかった。岸政彦×精興社だった。「文藝」連載中の柴崎友香との共作エッセイ「大阪」は、本にまとまったらじっくり読みたい。

ますます

f:id:yomunel:20191018002052j:plain:leftいつも言っている気がするけど(何度でも言う)、最近本を読むのがますます楽しくてしかたがないです。何十年も読んでいても全然飽きなくて、こんなに楽しくていいのかなーと心配になるくらい。本というものを何か高尚なもの、知識を得るためのもの、格上のものと考え、他人が読んでいる本を値踏みして「いい本読んでますね」「センスがいいね」と言ったり、反対に小ばかにしたりする人がいるけれど、自分が読みたいものを読みたいように読んで、あー面白かった、あれはいまいちだったで終わったっていいんじゃないかと思う。『続 横道世之介』(「続」というんでゾンビの世之介がでてくるのかと思った)も『レス』も『神前酔狂宴』も面白くて、『わたしのいるところ』は誰か繊細な人のブログでも読んでいるようだった。次は藤野可織『私は幽霊を見ない』。こわおかしい。

雑誌のアンケート特集号といったら真っ先に「みすず」を思い浮かべるが、毎年、読書週間頃に刊行される「新刊ニュース」のアンケート特集もわりと楽しみにしている。今年の11月号は、人気著者111名の「平成から令和へ!これからも読み継いでほしい1冊」。「みすず」と比べると人選がうんとエンタメより。草臥れた仕事帰りに何も考えずこういうのをペラペラ繰る時間がたまらない。