僕の好きな文庫本(13)その2

f:id:yomunel:20211117091808j:plain
金井美恵子『タマや』(講談社文庫)

カバー写真・山田宏一 カバーデザイン・金井久美子 解説・武藤康史

子供の頃から優柔不断で、迷った末に何かを選んだあと、やっぱりあれがよかった、あっちにすればよかったとくよくよ後悔し続け、1年たっても2年たっても、5年たっても、やっぱりあの時のあれは、とウジウジしているものだから、とうとう母が「あんたが迷った時はもう両方買っちゃいな!」とキレてしまった。安いものならそれでいいのだけれど、家電とかになるとそうもいかず、大人になってもずっと後悔し続けている。新刊書籍は買い逃してもまた買える(最近はそうとは限らない)が、古本は一期一会感が強く、買い逃して、あれ買っとけばよかったーと歯噛みすることばかり。リアル地団駄を踏んでいる。なんでこんなことを思い出したかというと、前回『小春日和』を選んだあと、うーむ『タマや』もいいなと悩みはじめ、目白四部作では、『タマや』か『小春日和』か『タマや』か『小春日和』か『タマや』か『小春日和』かとウジウジの虫が騒ぎだしてので、僕の好きな文庫本(13)を2部に分けた次第です。でも、講談社文庫版にするのに、迷いはなかった。

僕の好きな文庫本(13)

f:id:yomunel:20211113214750j:plain
金井美恵子『小春日和 インディアン・サマー』(河出文庫

カバーデザイン・金井久美子 解説・斎藤美奈子

11月にはいってから穏やかな晴天が続いていて、今日なんて雲ひとつない見事な青空だったから、次の「僕好き」はこの『小春日和』で決まり!と思った。大好きな目白四部作のなかの一冊。小説家のおばさんと桃花コンビが過ごす日々。桃子の一人称は「あたし」で、花子は「オレ」。斎藤美奈子の解説に、『小春日和』は、これと同じ年(正確には10ヶ月前)に出版された吉本ばなな『キッチン』のパロディとしても読めるように思うとある。なるほど「台所で一一台所とかお勝手とは決して言わずにキッチンと言う人が、世の中にはいるんだけど、あたしは、どうも、「システム・キッチン」と続けて言うのなら言えるけど、普通の台所は台所としか言う気がしない(p.62)」と桃子に言わせているところなどに軽い目配せを感じる。後に高崎俊夫の本で小説家のおばさん(大原麗子)、桃子(つみきみほ)でTVドラマ化されていたことを知った。今だったらどんなキャスティングがいいだろうと考えるだけで楽しい。

呑んで読んで

休み。昨夜ひさびさに複数の人と夕ごはんを食べに行く。楽しかったけれど、どっと疲れた。今日はだらんだらんする日曜日。肌触りのよい毛布に顔の下半分から首のまわりを埋もれさせ、ずっとこうしていたいなあと思う。
北海道新聞の連載、北大路公子「続々 呑んで読んで」を毎月楽しみにしている。いま病気の治療中でとてもつらそうだが、今日の朝刊で新しい文章を読めて本当によかった。この連載は国産のエンタメ小説(私の知らない作品も多い)が主に取り上げられていて、どれも読みたくなってしまう。今日のやつも読むぞ。同じ紙面に載っていた「まさきとしかの読まさる書かさる」には『スカートのアンソロジー』が紹介されている。ちょうど読んでる最中でタイムリーだった。
冷凍うどんで釜玉うどんを作り、本を読み、動画を見ていたらもう夜。読んだ本、増田みず子『理系的』(田畑書店)、川野里子 短歌日記2020『天窓紀行』(ふらんす堂)、『朝倉かすみリクエスト! スカートのアンソロジー』(光文社)。
こんな日曜日があるとほっとする。春日先生が『ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと』のなかで肯定してくれている。

穂村 うーん……僕は家でどら焼きとか食べながらコーヒー飲んで、諸星大二郎とか読んでるような生活ができるなら、それでいいかな(笑)。別にダイヤモンド要らない。
でも前に、そうしたマインドを作家の川上未映子さんに怒られたことがあるよ。「世界には飢えている人もいれば、性的少数者として苦しんでいる人もいる。そういう現実がある中で、諸星大二郎読んでどら焼き食ってれば自分はいいんです、って言っちゃう人は物書きとしてダメ」って(苦笑)。自分はここでちまちま遊んでいられれば、それ以上は望みません——みたいなのは、やっぱりダメなのかな?
春日 そんなわけないじゃん。
穂村 でも、複数の友だちにダメだって言われたよ。
春日 俺に言わせれば、ちゃんとそういう幸せの形を示せるというだけで十分だと思うな。そこには、他人に伝わるかどうかは別にして、その人なりの切実さが絶対あると思うしさ。

期日前投票

快晴。午後半休。半休の日は、ランチのことを考えていると時間がはやく経つ。いそいそと退勤。何かガッツリ食べたくて、ひさびさにとんかつにする。特製ヒレかつランチ。ふわっふわの山盛り千切りキャベツがおいしい。満腹。食後のコーヒーを飲みに店を移動し、しばらくアン・タイラー『ヴィネガー・ガール』(鈴木潤訳、集英社)を読む。楽しみにしていた語りなおしシェイクスピアシリーズ第3弾。アン・タイラーは『ノアの羅針盤』を読んで以来だから10年ぶりぐらいか。新しいのを読めるのが嬉しい。小林信彦の書評で知った作家。

そのあとぶらぶら歩いて図書館へ。青空の下、歩くのが気持ちいい。ご自由にお持ちくださいの廃棄本コーナーをじっくり眺め、上限の5冊いただく。さらに5冊借りる。朝、家を出るときに持参してきた本もあるので、それらを全部収めると、背中のリュックが急に石地蔵のように重くなった。石地蔵を背負ったまま、期日前投票に行く。期日前投票の便利さを知ってからは、ずっと期日前投票派だ。

帰りにセブンイレブンでアイスコーヒーを買ったら、なぜかアメリカンドッグも買っていて、それを持って公園のベンチへ。図書館でもらってきた本を、あっちこっちぱらぱらする。この時間がたまらなく楽しい。その中の一冊、鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』(新潮社)は、著者の韓国語学留学記。昔、薄い文庫版で読んだ記憶はあるが、当時は韓国に興味がなかったせいか内容は全く覚えていない。ページを繰っていると、韓国の不動産システムの「チョンセ」に脚注が付いているが、韓国の小説などでチョンセのことは俺に任せろっていうくらいチョンセに詳しくなっているので、いまの自分には脚注は不要である。すごい進歩。いまのほうがずっと興味深く読めそうだ。表紙に水彩でケナリ(れんぎょう)がシュッと描かれているが、装幀・装画 安西水丸とある。こんな所で水丸さんに会えるとは。

スーパーに寄って石地蔵がさらに重たくなり帰宅する頃にはきれいな夕焼けが。半休の日は自分の時間がたった5時間ぐらい増えるだけなのに、ものすごく豊かな気持ちになる。

3冊の本棚

秋晴れ。朝晩冷える。夏、Tシャツに短パンで『君は永遠にそいつらより若い』の予告編を見ていると、出てくる人たちがやたら厚着(コートにマフラーぐるぐる巻きに耳あて付きのニット帽など)で、いいなぁ、早く冬にならないかなと思っていたら、いきなり寒くなり衣替えした。
近頃、クイックルワイパー(ドライタイプ)の滑りがよくなった。湿気の多い梅雨から夏にかけては、粘ついて引っかかる嫌~な感じがあったのが、いまはフローリングの上を気持ちよくスルッスル滑ってくれる。手で押さなくても、ワイパー部分が自ら進んでいく感じで、クイックルワイパーがルンバ化したようだ。

5月頃、高齢者のコロナワクチン接種が始まった際、たまたま知り合った86歳の老婦人が電話が通じなくて予約ができないと困っていた。知り合いはみんな同居の子供や孫がネットから予約をしてくれるみたいだけど、自分は一人暮らしだから、とひどく落ち込んでいたので、私がやってみましょうか?と接種券番号とパスワードを聞いてアクセスすると、あっさり予約が取れてすごく喜んでくれた。それ以来、顔見知りになり、今日久しぶりに会ったら、とらやの羊羹5本セットをくれた(1620円)。押し問答の末、あまり固辞するのもなーと素直にいただく。羊羹の箱の下に帯封付きの札束はなかったが(ドクターXの見過ぎ)。もうすぐ3回目の接種があるのでそん時もヨロピク!てことなのかも。

明日は代休なので残業して帰る。ご飯を作る気力がなかったのでパックの寿司を買う。デザートは羊羹。月が明るいなと思ったら満月。酒井順子『月に3冊、読んでみる?』を読んでみる。東京新聞の「3冊の本棚」が好きだ。平田俊子さんのとか。「3冊」がいい。1冊じゃ物足りない。