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ヨムヨムエブリデイ

片づけの魔法

大家さんがエアコンを新しいのと交換してくれるそうですが、いつがいいですかと、管理会社から先週電話があった。新しくなるのは大歓迎なのだけれども、その前に部屋を片付けなければならなくなってしまった。エアコン周りが、積まれた本だの雑誌だのでカオスになっていて毎晩疲れて帰宅してから少しづつ片付けて掃除する。いつもやらなきゃやらなきゃと思いながらズルズル先延ばしになっていたが、タイムリミットがあるとイヤでもやらざるを得ない。ちょっと早い年末の大掃除だと思って頑張る。とうとう玄関からエアコンへと続く道が、モーゼの十戒のように現れた。これで明日の休みにどうにかシン・エアコンを迎えられそう。
埃まみれの身体をサッパリさせた風呂上り、部屋もスッキリしててとても気持ちがよい。原稿が書けない平山夢明が、春日武彦に相談したら、とりあえず部屋を掃除しろと言われ、そうしたらやる気が出て一気に書けた、と言ってたのがわかった。ほんと清々しいんだから。

気持ちのいい部屋でこんなの読んでる

奈倉有里さんが角田光代さんをすごい推している。

小春日和

11月に入ってから、異常に暑い日が続いたかと思ったら急に寒くなり、ここ数日は穏やかな小春日和が続いている。
以前は一年のうち仕事の繁忙期はだいたい決まっていてメリハリがあったが、コロナ時代になってからは、だらだらずーっと繁忙期の状態でしんどい。毎日疲れる。今日は休みの前の日で、退勤後友人との待ち合わせ場所にヨレヨレ向かい、焼肉を食べる。たまに食べる焼肉は沁みるようにおいしくて、モリモリ食べてちょっと元気でた。店を出てから、テイクアウトしたカフェオレを手にくだらない話をしながら、イルミネーションの下をゆっくり歩く。外はそんなに寒くもなく、カフェオレは温かく、ああ、なんか久々にくつろいだ気分だなと思った。
帰りにスーパーで買物して、本屋をちょこっと覗く。中公文庫の新刊、村上春樹編訳『フィッツジェラルド10 傑作選』、どんな10が選ばれているのか、「残り火」「氷の宮殿」「リッチ・ボーイ」「バビロンに帰る」「冬の夢」……これぞザ決定版。これには選ばれていないけれども、私はとても短い短篇「失われた三時間」が好きだ。最後にぎゃふんとなるところ。

読んだ本。井上荒野『照子と瑠衣』照子の夫がぎゃふんとなって痛快(私はぎゃふんが好きなのかも)、武田惇志 伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』死亡した女性の素性が少しずつ明らかになっていく過程にゾクゾク興奮した、村田喜代子『新古事記』。

コタツがある家

つい数日前は昼間Tシャツ一枚でよかったのに、急に朝晩冷え込む。寝具を冬仕様に替える。コタツはもっと寒くなるまで待つことにする。だってコタツを出してしまったら、地蔵のように動けなくなってしまうので。冬はいつもこんなふう。

伊藤理佐『ステキな奥さんぬははっ』より

『いつかたこぶねになる日』をゆっくり読み終えた。ものすごくエレガントで、この著者は「かわりにおしっこいってきて~」とか決して言わなそう。次はこの文庫の帯を書いている江國香織の『シェニール織とか黄肉のメロンとか』を読む。江國さんももちろん言わない。


ニュースでガザの惨状を目にするとつらくなる。4年ほど前に岡真里『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)を読むまではパレスチナ問題に関して全くの無知、無関心だった。この本だってタイトルから、実際にガザに地下鉄を建設する奮闘記、プロジェクトX的なルポルタージュかと思い込んでいたくらいだから、無知にも程がある。「難民キャンプ」という言葉から難民たちがキャンプでずっとテント暮らしをしているものと思ってもいた。もっと知らなければと思った。

ガザでは、攻撃のときのほうが良かったという子どもがいるのだという。攻撃のあいだは世界じゅうがガザに関心を向けてくれていたからと。しかし、攻撃が終わったとたん、ガザは急速に忘れ去られていった。完全封鎖は依然、続いているというのに。日本の報道もそうだ。」(p.240)

風にゆれるスピン

10月最後の日。今月いちにち余っていた代休をギリギリ駆け込みでもらう。アラームに起こされず、ぎゅうぎゅう満員に違いない電車の音を聞きながらいつまでも布団の中でうとうとしていられる幸福。夏の暑さに予想以上に身体がダメージを受けていたみたいで(しょっちゅう蕁麻疹が出てた)、快適な気候の10月の1ヶ月間をかけて、ゆるやかに回復してきた。

ベランダにアウトドアチェアを出してコーヒーとパンを食べながら、昨日の帰りに買ってきた小津夜景『いつかたこぶねになる日』(新潮文庫)を読む。これ3年前に出て話題になった際、表紙に「漢詩の手帖」とあるのを見て、ムリムリムリムリと思ったのだった。昔から、もうとにかく漢文や古文や古典が苦手で、そのせいか歴史もダメで、歴史小説や時代小説も読めない。大河ドラマも人物関係がよくわからない。嫌いな食べ物が喉を通っていかないように、脳の入口からまったく入ってこないのだ。それで理系を専攻したくらい。
でも、この文庫の佇まいがよかったので、あ、もしかしたら読めるかもと思って買ってきた。文庫本はこういうところが気軽でいい。ちくま文庫河出文庫や中公文庫などマニアックで好きだけれども、やはり新潮文庫を買うときが一番うれしいかな。子どもの頃からずっと読んでるので、殺人犯は現場に戻るような感じ。スピンが風にゆらゆら吹かれ、手の甲を撫でるのでくすぐったかった。ゆーっくり読んでいる。

この文庫本の元の本は素粒社から出版された。素粒社はまだ設立されて3年程だが、昨年読んでめちゃくちゃ好きだった上田信治の『成分表』や、今年読んでめちゃくちゃ良かった古賀及子の『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』や、他にも『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』とかもあって素晴らしい。

翼の王国

先週だったかもっと前か、夕焼けが特別赤くてきれいな日があった。夕暮れ時の電車に揺られていて文庫本から目を上げると、黄色っぽくて弱々しい光が車窓から斜めに差し込んでいて、

ハムのごとき秋の夕日はぴらぴらと電車の窓にスライスされる(杉﨑恒夫)

まさにそんな感じだった。今は帰る時間にはもう真っ暗で、車窓からは、ビルに灯るたくさんの明かりが見える。今日も疲れたのでスーパーでパック寿司を買って帰る。近くの小さな書店をちょこっと覗くと、文庫新刊コーナーに吉田修一『素晴らしき世界〜もう一度旅へ』(集英社文庫)が並んでいた。
15年にわたり続いたANA機内誌「翼の王国」連載の人気エッセイ堂々の完結とのことだ。終わっちゃったんだ。最初はショートストーリーだったのがエッセイに変わり、『あの空の下で』『空の冒険』『作家と一日』『泣きたくなるような青空』『最後に手にしたいもの』と続き、特にどうと言うことはないのだけれども、すいすい気持ちよく読めるので愛読してきた。ここまでは一旦、木楽舎から単行本で出てから集英社文庫に入るという流れだった。最後の2冊『ぼくたちがコロナを知らなかったころ』(表紙が氏の愛猫の金ちゃん銀ちゃん!)と『素晴らしき世界〜もう一度旅へ』はいきなり文庫化。「翼の王国」の連載が2021年3月にすでに終わってるのでさっさと文庫にしちゃいましょうということかもしれない。ありがたいです。

10年ぐらい前までは、わりと飛行機に乗る機会があったので、「翼の王国」と「SKYWARD」の二大機内誌を読むのが楽しみだった。旅に出る友人にもらってきてと頼んだりも。今は「翼の王国」はWebでも読めるが、やはり揺れる機上で前の座席のポケットに刺さっている機内誌を引っ張り出して熟読してからカタログにも目を通すみたいなのが楽しかったな。以前の上司が浅田次郎ファンで、「SKYWARD」の連載「つばさよつばさ」が単行本になるのが楽しみなんだと言ってた。「つばさよつばさ」はまだ続いているみたい。