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season2

YOMUBINGO!

仕事と家の往復で、またあっという間に一週間が過ぎる。どの日も同じような一日で区別がつかないが、楽しみにしているドラマがあると、曜日に栞をはさめるため気持ちに張りが出る。今のところ金曜日(正確には土曜)の「何食べ」中心に一週間が回っている。なんとか乗り切っているといったほうがいいかもしれない。

今年はいつまでも寒かったので、桜が長持ちだ。歩道は、ロキソニン色の花の絨毯でふわっふわ。背後から殺人鬼が迫ってきてもたぶん気付かない(ドラマの見過ぎ)。昨日の皐月賞で、出走前に待機所をぐるぐる歩く馬たちの上から桜の花びらが舞い散っていてとてもきれいだった。

今週読んだ本は、今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』、川本三郎『台湾、ローカル線、そして荷風』。カバンには今読みかけの文庫本2冊。藤本和子『塩を食う女たち』と三浦しをん『小暮荘物語』。『小暮荘物語』は先日読んだMONKEY vol.17の岸本さんのめっちゃ好きな連載「死ぬまでに行きたい海」の世田谷代田編にこの本が何度も出てきて読みたいと思っていたところ、たまたま古本屋の均一台で目が合ったので買った。こういうのも何かの縁なんだろう。好きな作家の著作はできれば全部読みたくなるもので、滝口悠生津村記久子長嶋有あたりは全部読んでるかなとぱっと思いつくが、あまりにも著作が多かったりすると追いきれなくて、その抜けている本を時々思い出してはビンゴを埋めるようにぽつぽつと読んでいくのが楽しい。『小暮荘物語』もそんな一冊。

面の皮

新年度が始まり、バタバタして落ち着かない。送別会も歓迎会も当事者じゃないのが救い。今日はめずらしく昼休みがきっちり取れたので何か食べようと外に出る。うどんか蕎麦か迷ったが、焼き立ての明太子フランスとカレーパンと紙パックの甘ったるいコーヒー牛乳を買い桜の公園で食べることにする。暖かい、を通り越して歩いていると汗ばむくらい。食べ終え、原武史 三浦しをん『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』(KADOKAWA)を少し読む。桜はほぼ満開。強風に舞う花びら。このまま仕事に戻りたくない、ずっとこうしていたいなあと思うも、歯磨きやトイレに行く時間を逆算して遅れないように、そして決して早すぎもしないようにしっかり計算して戻る。遅れないようにだけではなく、早すぎないギリギリのラインを見極めるようになったのは、かなり面の皮が厚くなってからのことだ。新人さんたちはまだ面の皮がなくてむき出しで因幡の白うさぎのようだけれど、そのうち「社長出勤?」とか言われるようになると思う。

星に願いを

3月が終わる。友人たちが花見をしているから来られるんだったら手ぶらでおいでよと言われていたが、送別会が続き、人に会うのが億劫だったのでパスする。今日はあったかくなるとの予報だったが部屋の中はうすら寒い。昼近くまで布団の中で本を読んだりうとうとして過ごす。先週から読んでいたキム・ヘジン『娘について』(亜紀書房)、四元康祐前立腺歌日記』(講談社)、酒井順子『次の人、どうぞ!』(講談社)を読み終えた。相変わらず何を読んでも楽しくて、いろいろどんどん読みたいなあと思っている。昨日、朝日新聞の7人の書評委員が退任すると記されていたが、なかでも、サンキュータツオ氏と野矢茂樹氏のは、自分の興味外の本もつい読みたくなってしまう書評で好きだった。ゴローデラックスも最終回で、最後のゲストが沢木耕太郎なんて、やっぱ見ちゃうよね。沢木耕太郎も、庄司薫スティーブ・ジョブズに続く、黒タートル族。

夜は、なんとなく庄野潤三を読みたくなり、『星に願いを』を読む。夫婦の晩年シリーズの11作目かつ最終巻。10年ぶりくらいの再読。3月10日から始まるのでちょうど今読むのにぴったりだ。君子蘭、すみれ、海棠、みやこわすれ、咲分け椿、鈴蘭、藤など次から次へと出てくるが、桜が一度も登場しなかったのが意外だった。庭に桜の木がないせいかもしれないが、散歩の途中で見かけたなんていう記述もなく、派手な桜はあまり好きではなかったのかしらと思ったり。昨年『庄野潤三の本 山の上の家』で結婚が報告されていたフーちゃんが、この本の中ではまだ高校生で、生田高校の入学式の帰りに制服姿を見せに寄っている。同じことの繰り返しと揶揄されたりもするこのシリーズをずっと読み続けてきてよかったなあと改めて思う。

ハロー カップヌードルの海老たち。

シャツ一枚でいいくらいの暑い日があったかと思えば、冬のコートに逆戻りの日もあり、体調が追い付かない。21日の開花宣言からずっと暗くなって帰ることが続いていたので、近所の桜はどうなっておるのかと桜並木のある公園のほうへ少し遠回りして出勤する。うーん、これは三分咲ぐらいかなーと見上げていたら「だいたい三分咲ってとこだね」と60がらみの男性に話しかけられる。「毎年この右端の木が一番先に開花するよ」「へえ、はしっこで陽が一番当たるからですかね」とか適当に答えていると、今度はやはり60がらみの犬を連れた女性が「三分咲ぐらいかしらねえ」と話に入ってくる。みんな桜にウキウキしているのがわかる。しばらく三人でアハハウフフと見上げていたが、間がもたなくなり、じゃあそろそろ仕事に行きますんでと伝え「あら、行ってらっしゃい」「気をつけてね」の声に送り出される。朝っぱらからまったく知らんおっちゃん、おばちゃんと桜を見上げて、見送られ、これがいわゆる世間っていうものだろうか、と思った。なんとなくいい一週間の始まりだなとも。
しかし月曜日は特別疲れる。残業後、ようやく退勤。帰りはもう遠回りする気力もなく、人通りのない暗い道をうつむいて歩く。

ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。(穂村弘

夢も見ずに眠った。

月曜日。また一週間が始まる。昼食後本を読んでいたら、同僚がアルフォートをくれた。コーヒーとよく合い、アルフォートってこんなにおいしかったっけーと思う。この同僚は、ちょうど今これが食べたかったんだというものをいつもさりげなく差し出してくれる。そのチョイスとタイミングの絶妙さといったら。自分がすると、わざとらしいさりげなさで、バリバリ恩着せがましくなったり、じっとり重たくなったりして、軽いおやつに、なにか情念とか怨念みたいなものが絡みつくようだ。そんな演歌みたいなおやつはいらないだろう。

絲山秋子『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)を読んだら、無性に車でどこかへ行きたくてたまらなくなり、昨日は友人を誘いドライブへ出かけた。SAでたこ焼きだのソフトクリームだので休憩しつつ海へ向かった。目的地はどこでもよく、こんなふうにぐだぐだ寄り道しながら気ままに走るのが楽しい。海を眺め、歩き、アジフライ定食を食べ、道の駅的な店で春の新鮮な野菜や饅頭を買い帰ってきた。海はいい。

『夢も見ずに眠った。』は、ある夫婦が全国各地を旅する過程で、悩み、すれ違いながら互いの関係を見つめ直していく話。夫婦中心に話が進むが、ちょこっとだけ出てくるドイツから来た、妻(沙和子)のいとこの娘の鈴香と夫(高之)との交流(ほんの十数ページ)が妙に印象に残っている。同じ著者の「アーリオ オーリオ」みたいだと思った。
他に読んだ本。金井美恵子『たのしい暮しの断片』(平凡社)。「天然生活」「家庭画報」などの連載をまとめたもので、些末で豊かな日常のなかの「気持ちの良いこと」を描く、待望のエッセイ集、なんて紹介されているから、これは白美恵子なのかと読み始めたら、読んでる間ずっと、唇のはしに歪んだ笑いが浮かびっぱなしだった。これこれ!こうでないと。あと山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)を読んだ。