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二月の十八日

f:id:yomunel:20200218221524j:plain:left新型ウィルスのせいですっかり影が薄くなったインフルエンザに罹った同僚2人が病欠。洗濯機の中に放り込まれたような忙しさで、引っかき回されたり、叩かれたり、絞られたりしながら、ひたすら昼休みを待ち望む。ようやく交代で休憩に入る。この時期はどうせゆっくり時間が取れないから、すぐに食べられるものをと、おむすびをふたつ(梅干しとおかか)持参。Nさんにもらったチョコレートと飴。誰もいないガラーンとした休憩室でおむすびを頬張りつつ、誰にも気兼ねなく「真田丸」の旭姫のような仏頂面して本を読む時間にほっと和む。この時間があるからなんとかやれているのかもしれない。

豚まん

快晴。風が冷たく、キーンとする寒さ。午後、関西旅行から戻ってきた友人と待ち合わせ。551の豚まんと焼売をもらう。明日の夕ごはんは焼売で決まり。コートを着て、マフラーに顔を半分埋めながら冬の公園を歩きまわるのが気持ちよかった。かばんの中には加藤典洋『大きな字で書くこと』(岩波書店)という小ぶりの本。待ち時間と帰り道に少しずつ読む。「!」と「ひらめく」よりも「あらーっ」とか、「あらら~」というような形でやってくる覚醒のほうが深いということ。(p.108)

fuzkueというお店には、福利厚生本として、毎月従業員が希望する本を一冊買ってもらえるシステムがあるようで、ブログにアップされる「今月の福利厚生本」のコーナーを楽しみに読ませてもらっているのだが、町田康『浄土』(講談社文庫)や 宮田珠己『いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫)、メルヴィル『白鯨(中)』(岩波文庫)などが紹介されていると、え~文庫本なの?それでいいの~?と思ってしまう。いや全然かまわないし、本人がよければ外野がつべこべいうことではないのだけれど、せっかく買ってくれるのだから、文庫は自分で買い、高い単行本を買ってもらえばいいのにと思う。
もし自分だったら(上限金額が決まっているのかは知らないが)、ウィリアム・ギャディス『JR』8800円とか『クレーの日記』7920円だとか『ナボコフ・コレクション 賜物 父の蝶』6270円とかにするかも。でも、あいつは高けえ本ばかりをリクエストしやがるけしからん奴と思われても困るので、まあ2000円前後の単行本にしとくのが無難かな、というようなことを欲の皮がつっぱった頭でガツガツ考えている。自分がもらうわけではないのにね。そんな損得勘定抜きで、文庫だろうと何だろうと単純に自分の読みたい本をリクエストしている若者たちがスマートだ。何か爽やかな風に吹かれたような心地がする。

Twitter文学賞や日本翻訳大賞がお祭りみたいでたいへん愉快。Twitter文学賞に投票したくてアカウントを作ろうと思いながらもうずるずる10年がすぎてしまった。結局投票できずじまいでした。でも、10年間とても楽しませてもらった。

おはよう

マックスの ”ハロー” を聞くのが好きだ。

ルシア・ベルリンの「ソー・ロング」の冒頭の一文だが、冒頭からこれだから堪えられんな。

私は、同僚のNさんの「おはよう」を聞くのが好きだ。一応先輩にあたるので、こちらは「おはようございます」と言うのだけれども、毎朝言ってると、「お」とか「ご」とか「す」とかがすり減って消滅してしまい「はよざま~」となる。「はよざま~」と声をかけると、少し照れながら笑いを含んだ声で「あっ、おはよう」と応えてくれる。必ず最初に「あっ」が付くのがいい。カシミヤのような手触りの声。このやわらかなカシミヤの声に包まれて二度寝したいな。でもすぐに仕事の現実が戻ってきて、カシミヤの魔法は5分で消えてしまう。

伊藤朱里『きみはだれかのどうでもいい人』があまりにもヒリヒリしてもう勘弁してください、という読後感だったので、これまで未読だったものも読んでみたくなり『緑の花と赤い芝生』と『稽古とプラリネ』を読んだ。「もったいなくて読めない」が好きな本への最上級の愛情表現なのだけど、「他のも読みたい」もかなりいいセンいってるってこと。こんなふうにじわじわ広がっていくの楽しい。太宰治賞は、津村記久子、今村夏子、栗林佐知など好きな作家が多い。

パーカーのフード

カーテン越しに明るい日差しを感じる暖かい日。週日の蓄積した疲れが抜けきらず、日曜日は電池切れでぐったりして布団から出られない。怠け者だからそれはそれでいいのだが、動けるのに動かないというのと、動きたいけど動けないというのとは全然ちがう。動けるのに動かないのは、自分が何かを操っている気がするが、動きたいけど動けないのは、得体のしれない何かから牛耳られている感がある。寝ころんだまま、本を読んだり、録画のたまったのを見たりしていたら、もう夕方。

片山令子『惑星』(港の人)を読んだ。巻末に著者のポートレート数枚が掲載されているのだが、「1984年頃、井の頭公園にて」というキャプションの付いた写真が目に留まる。パーカーのフードをかぶった、ちょっと気取った感じの写真。全然詳しくないのだけど、パーカーのフードをかぶるといったら、なんかエミネム?とかそのあたりの人がやっていたイメージが強いが、1984年、35年くらい前にすでに普及していたのか。新しめのところでは(といっても5年前)、映画『監視者たち』のハン・ヒョジュのパーカーのフードかぶりコーデがよかった。この本の注目点はそこかよ!他にあるでしょと思うも、片山令子『惑星』=パーカーのフードでインプットされてしまった。細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖。
「たとえば、すっかり忘れた頃、もたらされる誠実な返信。わたしは、そんな何気ない出来事こそ、人生の結晶だと思っている」(p.198)

週末に開催された本屋博のトークイベントの進行役として登場する蔦屋書店の北村さんを見に行きたかったのだけど、仕事で行けず。北村さん、活躍されているようでうれしい。リニューアルした「暮しの手帖」の目利きの本屋さんに聞いてみたのコーナーにもでていて、自己紹介で、好きな作家にチェーホフ山田稔藤沢周平を並べているところとか、ちょっと頑固そうなところとか、ああ、変わってないなと思った。

地図帳

昨日今日と、冬らしい寒さ。帰り、雨。仕事ますます忙しく、まためまいがぶり返さないかヒヤヒヤしている。夕ご飯は、冷蔵庫の余り物の野菜、きのこ、ちくわなどをどっさり入れて玉子を落とした鍋焼きうどん。時間がなくてめんどくさいときは、簡単であったまる。食後、同僚からおすそ分けしてもらった林檎。シャクシャクしておいしい。

青山七恵『私の家』を読んだ。3世代に渡る家族の群像劇11編が収録された連作短編集(または11章立ての長編小説?)で、爆発的な面白さではないが、程よいユーモアがあり、昼休みや通勤時や寝る前に1編ずつ読んでいくのをとても楽しみにしていた。その中で、

ひとまず何かをくれるひとが親たちにいるということに、梓は彼らの子としてなんとなく安心する。誰かに何かをあげたりもらったりしているうちは、人間はしっかりしていられるという気がする。

という文章が心に残っている。自分もちょっと前に似たようなことを感じたばかりだったから。

正月休みに帰省したとき、居間のテーブルの上に高校生が使う地図帳が置いてあった。ゆく年くる年にでてくるお寺の場所や、駅伝のルートなどをいちいちそれで調べては、へぇとかほぉとか感心している母に、それどうしたの?と訊いたら、お向かいのジュン君が学生時代の教科書なんかを全部捨てるっていうからおばちゃんに地図帳ちょうだいってもらっちゃった。スマホだとこんなにバーッとテーブルに広げて見られないから便利よー。ラグビーWCのときは大活躍、イングランドウェールズスコットランドの境界わかる?などと熱く語りだしたので、なにはともあれ楽しそうでよかった、ジュン君ありがとうと思った。

柴崎友香の『春の庭』では、登場人物たちが何かをあげたりもらったりすることが繰り返される。実際そういう体験をすると、めんどくさいと思うこともあるのだが、まあ、ものをあげたりもらったりしているうちは大丈夫、という感じはある。