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ヨムヨムエブリデイ

こりずに納豆二パック

連休初日。朝晴れていたので洗濯したら、どんどん曇ってくる。昼、昨夜のすき焼きの残りにうどんを投入して食べる。子どもの頃から、すき焼きそのものよりも、その残りにごはんやうどんを入れて煮込み、玉子でとじて食べるのが好きだ。そのためのすき焼き。

昨日の毎日新聞書評欄の「なつかしい一冊」に、尾崎世界観西村賢太の『一私小説書きの日乗』(角川文庫)を取り上げていた。「まず、この日記にはほとんど自然が出てこない。日々移ろう季節より、人や仕事と向き合う様子ばかりが書かれている。そして日記に登場する様々な人物は、西村さんが好意を抱く人物より、嫌悪を抱く人物の方がどこか魅力的だ」とある。そういえばそうだ。金木犀が匂ったとか、ミモザが咲いたとか、日が長くなったとかは出てこない。食べた物は詳しく記されるが、晴れとか曇りとかの天気の描写もない。
私も氏の著作で一番愛読しているのがこの日記シリーズだ。

午後から、買物に行く際、『一私小説書きの日乗』(角川文庫)を持って出る。マックのコーヒーとアップルパイ(熱っ)で休憩しながら本を開く。この最初の日記を読むのは何年ぶりか。平成二十三年(2011年)三月七日から始まっているので、すぐに地震が起きている。「三月二十二日 トイレットペーパーは相変わらず入手できず」つい引き込まれて読んでいて気づくと、自分の前後左右斜めすべてが複数客で埋まっている。え、他はガラガラに空いているのになんでここだけに集まる? 自分がいつの間にか、何かの容疑者になっていて、私服の刑事たちにがっちり包囲され、逃げ道をふさがれているような気分になる。そそくさと店を出る。
この一私小説書きの日乗シリーズまたボチボチ順番に読んでいこう。白飯代わりの納豆二パック、インスタントのしじみ汁が登場するのはいつ頃からだろう。

読んで、呼ぶ

すっかり春めいてきた。名残惜しく、まだ冬のカケラがちょっとでも残っているうちにと、鍋ぐつぐつ系料理を駆け込みで楽しんでいる。日曜日に仕込んだおでんの残りを帰ってからあっためて食べる。味がしみしみでおいしい。たぶん今シーズンラストおでん。ラスト〇〇って口にしただけでスペシャル感が出る。食後に同僚からもらったポンカンを食べる。指先からいつまでも柑橘系のよい匂いが漂う。

ライ麦畑のホールデン少年が、僕がノックアウトされる本は、読み終わったときに、それを書いた作家が僕の大親友で、いつでも好きなときに電話をかけて話せるような感じだといいのにと思わせてくれるものなんだ、と言っている。その後電話をかけたい作家として、イサク・ディネセン、リング・ラードナー、トマス・ハーディなどを挙げ、『人間の絆』は悪くはなかったけどサマセット・モームに電話をかけたいかというと、そういう気持ちにはなれないんだ、と続ける。

僕の場合はね、ホールデン君のように作家に電話したいとは思わないけど、読み終えたときに、登場人物の名前を無性に呼びたくなっちゃうんだ(←あんた誰?)。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の時は、ロッキー!グレース!と呼びかけていたし、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』 は、ああピーター!だった。そして河崎秋子『絞め殺しの樹』を読み終えた今、ミサエ~!と太字で叫んでいる。昔のクレヨンしんちゃんみたいに。名前を呼びたいくらい登場人物を身近に感じているということなのかもしれない。

表紙の質感

今日も疲れたが、明日が休みなので気持ちがゆったりしている。仕事用の専門書を買いたくて、帰りに大きな書店まで足をのばす。本屋にはあまりこだわりがなくて、どこでもいいと思っている。こだわりのありすぎる本屋がむしろ苦手。日々の通勤ルートにあるこぢんまりしたチェーンの本屋で雑誌や新刊をチェックして、月に何度か大きな書店を回遊できればそれで満足。
文庫の新刊コーナーには文春文庫の新刊が並んでいる。内澤さんのストーカーのやつ文庫になったんだ。平松洋子『いわしバターを自分で』、この連載、初期の安西水丸画の頃は単行本→文庫だったが、それ以後のシリーズははいきなり文庫というスタイルに。週刊誌の連載、即文庫は嬉しい。堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』は単行本のデザインを受け継いだカバーがにくいほど「ザ・堀江敏幸」している。各社の文庫のカバーはだいたい手触りでわかるけれども、この『オールドレンズ…』は、他の文春文庫のような光沢がなくトゥルトゥルしていない。その渋さがまた「ザ・堀江敏幸」。文春文庫では川上未映子『きみは赤ちゃん』のカバーもトゥルトゥルしていなかったと思う。新潮文庫伊丹十三や内田百閒やStar Classics 名作新訳コレクションのカバーも他のと質感が違うし、講談社文庫の大江健三郎の何冊かも違う。本は意外と触覚でも憶えているものなんだと思った。
大型書店はPR誌のコーナーも充実していて、いつも行く本屋で見かけないものを数冊いただく。その中の「STORY BOX」3月号の一挙掲載282枚乗代雄介「パパイヤ・ママイヤ」を読みながら帰る。

明日がある

3月。本年度の有給休暇は今月中に消化しないとチャラになってしまうのに、全然休める状況ではない。
原田宗典が90年代の終わりに世界の紛争地帯を旅して記した『やや黄色い熱をおびた旅人』の、

「T君にとって、平和ってどういうこと?」
「平和、ですか……」
T君は煙を吐き出しながらしばらく考え込み、
「……明日があるってことじゃないですかね」
と答えた。           (p.197)

という会話が印象に残っている。このエピソードは、小説の『メメント・モリ』にも使われている。
いや、もうほんとそれ、明日がないと困るよ! 今、アンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んでいるのだけど、正直なところ、上巻は、『火星の人』と同じじゃないかと、読むのがだるくなりかけたりもしたのだが、下巻の途中から、続きを読みたくてたまらなくなった。早く続きを読みたいのに、読めるのは、昼休みに慌ただしく昼食を食べながらの20分、仕事帰りの電車に揺られながらの20分、布団に入ってから寝るまでの20分。ただし寝る前の20分には睡魔という強力な敵がいて、顔面に本を落下させてきたりするので油断ならない。この計1時間ちょいの読書時間をひたすら楽しみに毎日過ごしている。鼻先にぶら下がったニンジンのようなもの。もしこれがなくなったらと思うと悲しい。

外を歩いていて桑田佳祐の「Soulコブラツイスト~魂の悶絶」が流れてくると、妙に歩調が合っていることに気づいて恥ずかしい。綾瀬はるかか。いかんいかんとワンテンポずらしてわざと歩調をずらすが、油断すると、いつの間にやら「やる気満々で曲に合わせて軽快に行進する人」みたいになっている。歩調って合わせるのは簡単だけど、乱すのがこんなにも難しいなんて。

僕の好きな文庫本(16)

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佐野洋子『ラブ・イズ・ザ・ベスト』(新潮文庫

カバー装画・佐野洋子 カバー装幀・平野甲賀 解説・白石公子

2月22日だから『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫)にしようと本棚の前に立つと、すぐ隣に並んでいたこのうすーい文庫が目に入り、抜き出してパラパラしているうちに読み耽ってしまった。佐野洋子がこれまでに出会ってきた人々との思い出を綴ったエッセイ集。元本は1986年に冬芽社から刊行され、1996年に新潮文庫入り。その後2018年に『でもいいの』と改題されて河出文庫入り。小川洋子平松洋子の対談集『洋子さんの本棚』では、まだ佐野節が定着していない初期の荒削りの佐野洋子を楽しめる本と言及されている。

この中の一篇「丸善のヨシノさん」について。まだ無名時代、欲しくてたまらないが、月給の倍位するので買えない銅版画の本を月払にしてくれと丸善で頼んでみたところ、奥から偉い人が出てきて「沢山勉強して偉くなって下さい」と個人的にたてかえてくれることになる。それが中年のヨシノさんだった。毎月給料日に千円ずつ返しに行き、最後に払い終わると「よくがんばりましたね」とヨシノさんが言った。それから20年後に新しい絵本を出し、丸善でサイン会をすることになったとき、ヨシノさんが七年前に亡くなったことを知る。

 部屋を出る時、その人は私に「沢山勉強して偉くなって下さい」と言った。偉くなるということはどんな事かわからなかったが、偉くなれなかったらヨシノさんに悪いと思い、でも偉くなれなくてもばれないだろうとも思った。(p19)

この「偉くなれなくてもばれないだろうとも思った」のところがなんとも佐野洋子っぽい。ウエルメイドなちょっといい話のコーティングがぺろっとめくれて、チラリと顔を覗かせる悪い洋子がたまらなくいい。