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ヨムヨムエブリデイ

星に願いを

3月が終わる。友人たちが花見をしているから来られるんだったら手ぶらでおいでよと言われていたが、送別会が続き、人に会うのが億劫だったのでパスする。今日はあったかくなるとの予報だったが部屋の中はうすら寒い。昼近くまで布団の中で本を読んだりうとうとして過ごす。先週から読んでいたキム・ヘジン『娘について』(亜紀書房)、四元康祐前立腺歌日記』(講談社)、酒井順子『次の人、どうぞ!』(講談社)を読み終えた。相変わらず何を読んでも楽しくて、いろいろどんどん読みたいなあと思っている。昨日、朝日新聞の7人の書評委員が退任すると記されていたが、なかでも、サンキュータツオ氏と野矢茂樹氏のは、自分の興味外の本もつい読みたくなってしまう書評で好きだった。ゴローデラックスも最終回で、最後のゲストが沢木耕太郎なんて、やっぱ見ちゃうよね。沢木耕太郎も、庄司薫スティーブ・ジョブズに続く、黒タートル族。

夜は、なんとなく庄野潤三を読みたくなり、『星に願いを』を読む。夫婦の晩年シリーズの11作目かつ最終巻。10年ぶりくらいの再読。3月10日から始まるのでちょうど今読むのにぴったりだ。君子蘭、すみれ、海棠、みやこわすれ、咲分け椿、鈴蘭、藤など次から次へと出てくるが、桜が一度も登場しなかったのが意外だった。庭に桜の木がないせいかもしれないが、散歩の途中で見かけたなんていう記述もなく、派手な桜はあまり好きではなかったのかしらと思ったり。昨年『庄野潤三の本 山の上の家』で結婚が報告されていたフーちゃんが、この本の中ではまだ高校生で、生田高校の入学式の帰りに制服姿を見せに寄っている。同じことの繰り返しと揶揄されたりもするこのシリーズをずっと読み続けてきてよかったなあと改めて思う。

ハロー カップヌードルの海老たち。

シャツ一枚でいいくらいの暑い日があったかと思えば、冬のコートに逆戻りの日もあり、体調が追い付かない。21日の開花宣言からずっと暗くなって帰ることが続いていたので、近所の桜はどうなっておるのかと桜並木のある公園のほうへ少し遠回りして出勤する。うーん、これは三分咲ぐらいかなーと見上げていたら「だいたい三分咲ってとこだね」と60がらみの男性に話しかけられる。「毎年この右端の木が一番先に開花するよ」「へえ、はしっこで陽が一番当たるからですかね」とか適当に答えていると、今度はやはり60がらみの犬を連れた女性が「三分咲ぐらいかしらねえ」と話に入ってくる。みんな桜にウキウキしているのがわかる。しばらく三人でアハハウフフと見上げていたが、間がもたなくなり、じゃあそろそろ仕事に行きますんでと伝え「あら、行ってらっしゃい」「気をつけてね」の声に送り出される。朝っぱらからまったく知らんおっちゃん、おばちゃんと桜を見上げて、見送られ、これがいわゆる世間っていうものだろうか、と思った。なんとなくいい一週間の始まりだなとも。
しかし月曜日は特別疲れる。残業後、ようやく退勤。帰りはもう遠回りする気力もなく、人通りのない暗い道をうつむいて歩く。

ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。(穂村弘

夢も見ずに眠った。

月曜日。また一週間が始まる。昼食後本を読んでいたら、同僚がアルフォートをくれた。コーヒーとよく合い、アルフォートってこんなにおいしかったっけーと思う。この同僚は、ちょうど今これが食べたかったんだというものをいつもさりげなく差し出してくれる。そのチョイスとタイミングの絶妙さといったら。自分がすると、わざとらしいさりげなさで、バリバリ恩着せがましくなったり、じっとり重たくなったりして、軽いおやつに、なにか情念とか怨念みたいなものが絡みつくようだ。そんな演歌みたいなおやつはいらないだろう。

絲山秋子『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)を読んだら、無性に車でどこかへ行きたくてたまらなくなり、昨日は友人を誘いドライブへ出かけた。SAでたこ焼きだのソフトクリームだので休憩しつつ海へ向かった。目的地はどこでもよく、こんなふうにぐだぐだ寄り道しながら気ままに走るのが楽しい。海を眺め、歩き、アジフライ定食を食べ、道の駅的な店で春の新鮮な野菜や饅頭を買い帰ってきた。海はいい。

『夢も見ずに眠った。』は、ある夫婦が全国各地を旅する過程で、悩み、すれ違いながら互いの関係を見つめ直していく話。夫婦中心に話が進むが、ちょこっとだけ出てくるドイツから来た、妻(沙和子)のいとこの娘の鈴香と夫(高之)との交流(ほんの十数ページ)が妙に印象に残っている。同じ著者の「アーリオ オーリオ」みたいだと思った。
他に読んだ本。金井美恵子『たのしい暮しの断片』(平凡社)。「天然生活」「家庭画報」などの連載をまとめたもので、些末で豊かな日常のなかの「気持ちの良いこと」を描く、待望のエッセイ集、なんて紹介されているから、これは白美恵子なのかと読み始めたら、読んでる間ずっと、唇のはしに歪んだ笑いが浮かびっぱなしだった。これこれ!こうでないと。あと山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)を読んだ。

散髪

朝、カーテン越しに差し込んでくる光の角度と明るさがすっかり春って感じで油断して外に出ると風が冷たくて、思わずひゃーと声が出る。ここのところ続いていた雨が上がり、雲ひとつない濃いブルーの空。
午後から半休を取る。今月いっぱいで本年度の有給休暇がチャラになってしまうので、とりあえず半日でも入れられそうなところにはガンガンぶっこんで消化していく方針。退勤後、日替わりランチ(チキンカツ)を食べてから、15時に予約を入れていた美容院で髪を切る。髪が伸びるのに比例して、病み感と闇感もぐんぐん増してくるようで、いつもと変わらないのに「疲れてる?」とか「体調悪いの?」とか言われるようになったらそろそろ髪を切る時期だなとわかる。かといって髪を切ってさっぱりしたところで、「なんかエネルギーが満ち溢れてるよね」とか「やる気がほとばしってるね」などと言われることは皆無なので、マイナスがゼロに近づくことはあっても、プラスになることはないんだなと思う。まあプラスにはならなくても切った髪の分だけ気持ちも軽くなり、頭を振ると自分の家とは違うシャンプーのいい匂いがして上機嫌で本屋などをふらふらめぐりながら帰る。空はまだ明るくて、夕焼けのグラデーションがきれいだった。

最近読んだ本。呉明益『自転車泥棒』(文藝春秋)はじめは、行方不明になった父と自転車を探すのにそのエピソードいる?と思いながら読んでいたが、読み終えるとそれはいるわな、というか、いる・いらないの話ではないなと思った。王谷晶『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ社)面白かった! 吉村萬壱『前世は兎』(集英社)ヌッセン総合カタログ! エッセイ枠は錦見映理子『めくるめく短歌たち』(書肆侃侃房)。

予想外の出来事

今週は、というかほとんどそうなのだが、次から次へとイレギュラーな問題が発生し週半ばにしてすでにクタクタ。明日は休みを取った。
今読んでいるコニー・ウィリス『クロストーク』のエピグラフに、
アイルランドでは、必然的な出来事はけっして起こらず、予想外の出来事はつねに起こる」
                          ―ジョン・ペントランド・マハフィ
と記されていて、このジョンなんちゃらという人がどういう人か知らない(調べる気力もない)が、ほんとそれ!アイルランドだけじゃないよジョン!って激しく同意する。そしてげっそり疲れた帰りに寄ったスーパーのレジはかなりの行列で、やっと次の順番になりホッとしたところ、前に並んでいた年配の女性が「それ、広告に載っていた値段と違う、高い!」と言いだして、レジの人がマイクで値段確認の応援を頼み、作業がストップしてしまう。マージーかあああ、ジョン~、もう何もかもがどうでもよくなってきて、かえって清々しい気持ちになる。『クロストーク』のブリディに比べればこんなのちょろいもんだ。明日休みだし。

電車では本の続きを読む気分にならず、ざっと見てカバンに入れたままだった「みすず」の読書アンケート号を書類の間から引っ張り出してパラパラする。このアンケート号は、毎年2月の初旬に刊行され、ああ今年も出たな、大トリの登場で2018年がやっと終わるなと入手したときが最高に盛り上がっている気がする。いざ読み始めると、こんなはずではなかった、というか、そうそうこんなかんじだったというか。20%くらいしか楽しめていない。と毎年懲りずに同じことを考えている。