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ヨムヨムエブリデイ

タイクーン

休み。気持ちのよい二度寝、三度寝のちモゾモゾ起きる。昨夜はひさびさに知り合いと焼肉。寝ている間に毛穴から肉の脂が沁みだして顔が異様にトゥルトゥルしている。

産経新聞石原千秋文芸時評が先月「15年間の最後だ。さようなら。」で終わり、今月から後釜は誰になるのだろうと楽しみにしていたら、海老沢類記者だ。石原千秋の時評は、李琴峰とバトルになり、その後新しい李作品を絶賛していたのが記憶に新しいが、一番印象に残っているのが、文芸に関係ないコムデギャルソンやマーガレット・ハウエルの服のこと。あとブレンドコーヒーとオムライスを食べた日のことも。昨日の東京新聞「3冊の本棚」は平田俊子選で池内紀川本三郎『すごいトシヨリ散歩』、南陀楼綾繁編『中央線小説傑作選』、川上弘美『晴れたり曇ったり』の3冊。平田俊子さんの3冊はいつもほうほうと楽しく読んでいる。

今週進読していたエルヴェ・ル・テリエ『異常(アノマリー)』(早川書房)を読み終える。面白かったー。読後、不穏な表紙の意味がわかる。そして何よりこの本のしなやかさ。400ページ越えなのにコンパクトな厚さで、表紙や本文用紙がやわらかいのでしなやかに手に馴染んで心地よかった。

夜、若干イライラしつつ「村上RADIO」を聞く。今月村上訳のスコット・フィッツジェラルド『最後の大君』(中央公論新社)が刊行された。昔、映画版のロバート・デ・ニーロが表紙に使われているハヤカワ文庫の『ラスト・タイクーン』を読んだ記憶がある(内容は忘れた)が、タイクーン(tycoon)が大君だったとは。常識なのに知らんことが多すぎる。

心を使わない人

4月ももう半分を過ぎた。朝の通勤時、ランドセルのピカピカぶりから、おそらく新一年生と思われる女の子が青信号の横断歩道を渡り始めたのだけど、「白いところ以外を歩いたら死ぬ!」というルールが彼女の脳内にはあるようで、横断歩道の白い部分だけをぴょんぴょん飛んで渡っていく。彼女が飛び跳ねるたびに、背中のランドセルもガッコンガッコン派手に跳ねて、見ていてなんかせつない。無事死なずに横断歩道を渡り終えてホッとする。

松浦理英子『ヒカリ文集』(講談社)を読んだ。〈心を使わない人〉賀集ヒカリをめぐる6人の男女の話。「あたし」という一人称を一度も使ったことがなくて「わたし」しか使う気にならないという登場人物の飛方雪実と、松村栄子『僕はかぐや姫』の〈あたし〉にならないように唇を触れ合わせて〈わたし〉と呟く千田裕生が重なった。〈心を使わない人〉に関しては、ヒカリとはまた違ったタイプだが、自分も心を使っていないよなと思う。仕事上は、感じよく誠実でいようと精一杯努めているが、上っ面だけで心がまったく触れ合っていない。薄っぺらのぺらっぺら。

てんやわんや

日曜。休み。4月に入り、てんやわんやだった日々もやっといち段落。桜はもう散り始めている。遅い仕事帰りに、街灯に照らされて白くぼわーっと光る夜桜と、たまの休みが雨ばかりだったので、雨に霞む桜、これが今年の私の桜だった。洗濯などを済ませ、午後から外出。お昼は焼きたてのパンでも買ってどっかで食べよう。しかし、暑い。トレンチやステンカラーの春物の薄手のコートは、アウターの中でも好きなアイテムなのだけど、これらを快適に着られる期間って、1年のうち3日間ぐらいじゃなかろうか。たいてい寒すぎるか暑すぎるよ! ステンカラーコートを『ミツバチのささやき』のアナのように無造作でこなれた感じに着こなしたいが、なぜか、アナ感ゼロで、刑事コロンボ感100%になってしまう。

途中本屋を覗き、何か一冊買いたいなと思い、文庫新刊コーナーから森岡督行『800日間銀座一周』(文春文庫)を選ぶ。ウェブ花椿の連載「現代銀座考」をまとめたもの。リュックには読みさしの西村賢太『東京者がたり』(講談社)を入れてきたが、この二冊、なかなかいい取り合わせ。明るい日差しの下、(今年最後かもしれない)桜並木を見ながら歩く。ひさびさに深呼吸をした気がする。夜はキーマカレー。満腹になり眠くなる。

ソー・ロング

3月終わり。新年度の準備でバタバタしている。異動になる同僚のNさん最後の日。「マックスの ”ハロー” を聞くのが好きだ。」は、ルシア・ベルリン「ソー・ロング」の冒頭の一文だが、私はNさんの「おはよう」を聞くのが大好きだった。甘さと憂いを含んだカシミヤのような手触りの声で少し照れながら毎朝応えてくれるNさんの「おはよう」をこれから聞けなくなるのが寂しくてたまらない。
異動や退職により職場を去る人が「卒業します」と言うようになったのはいつ頃からだろう。みんな「卒業します」ととにかく何がなんでも言ってみたくて、とうとうチャンスが巡ってきたぜといわんばかりに前のめりに口にする「卒業します」が、春になると飛び交う。

前に村上春樹安岡章太郎について、戦後の日本の小説家の中でいちばん文章がうまい人と書いていた。好きな文章はあるが、一般的にいう「うまい文章」というのがよくわからないので、うまいと評判のものを好奇心から時々読んでみたりする。松本俊彦『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』(みすず書房)。難しい話かと思っていたらアルファロメオの話なども出てきて、ドライブ感のある文章でページが進む。こういうのがうまいっていうのかー。数を読んでいたらそのうち自分でもわかるようになるのかな、でも最終的には好みかどうか、という気もする。

最近、個人的にうわっ、いい!と思った文章は、三省堂書店神保町本店の著名人選書フェアで、舞城王太郎『畏れ入谷の彼女の柘榴』に木下龍也が付けている紹介文。

坂道を全力で駆け下りる身体の速さに足がもつれてダダダダダって転がっていろんなところに怪我もするけどアドレナリン出てるから全然大丈夫っす監督おれまだやれますもっと転がらせてください、みたいな感覚を味わうことができる小説です。

この少ない字数で、舞城王太郎の小説を読む楽しさが完璧に表現されている。で、今、『畏れ入谷の彼女の柘榴』を読んでいます。

BEDTIME STORIES

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「BEDTIME STORIES OSAMU'S MOTHER GOOSE」より

節電プリーズ、わたしらもスタジオの照明を落としていつもより暗い中で放送してるよ、とニュースのアナウンサーが恩着せがましく言っているので、帰って夕ごはん食べて風呂入ってからすぐ布団にもぐりこんで枕元のライトだけつけて本を読んだ。

本を読む状況の中で一番好きなシチュエーションは、一人用のテントの中で、パーカーをくるりと丸めた枕の右側にウイスキーのポケット瓶、左側にシエラカップを置き、ヘッドランプの光で本を読む、ということだろうか。/テントのむこうの谷川のせせらぎを聞きながら、本の中でおどる数億の活字サーカスの世界を、ウイスキーの酔いがまわって睡くなるまでじっくり楽しんでいく、というのが、とりあえず目下の自分の人生のしあわせ―なのである。 椎名誠『活字のサーカス』(岩波新書

ちょうど11年前も同じ状況で、同じことを書いていた。
図書館から借りたり、買ったりして枕元に積まれている本のタイトル。『異常 アノマリー』『私のいない部屋』『古典とケーキ』『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』『イントゥ・ザ・プラネット ありえないほど美しく、とてつもなく恐ろしい水中洞窟への旅』『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』『天使日記』『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』『水中の哲学者たち』など。むふふ、次はどれを読もう、あっちパラパラこっちパラパラしているときの幸福感。11年前の夜と同じことをしているのだけれども、考えてみるといつもの夜とも別段変わりはないのだった。