y o m u : n e l

ヨムヨムエブリデイ

ドーナツ

パーデュ保安官補は足を使って保安官のオフィスのドアを開けた。手にはコーヒーの紙コップを二つと、温かいドーナツが入った袋をもっていた。―揚げ油のなかから引き上げたばかりの熱々だ。(中略)二人は油の滲んだ紙袋から巨大なドーナツを取り出し、派手に舌鼓を打ってそれを平らげた。ギトギトになった指先もきれいに舐めた。(p.193)


『ザリガニの鳴くところ』を読み終えてしまった。後半は一気に。とてもよかった。出てくる食べ物が魅力的だった。フライドチキンとグレイビーソースのかかったマッシュドポテト、摘みたての綿花のようにふわふわのビスケット、エビのフライ、アイスクリームを添えた黒イチゴのパイ、ペカンナッツのパイ、貧乏の象徴として描かれているトウモロコシ粥までがおいしそうだ。「一汁一菜でよいという提案」をしている場合ではなく、口の周りや手を油まみれにしながら、フライドチキンにかぶりつきたいと思った。保安官たちのドーナツに惹かれて、昨夜、帰りにドーナツを買った。今朝、コーヒーをいれて、そのドーナツを食べ、満足する。

手の込んだ料理よりも、チープなものがよりグッとくるようだ。西村賢太の日記に出てくる缶詰ソーセージのウスターソース炒めとか、たまらん。特にアメリカの小説に出てくる料理には昔からやられっぱなし。スタインベックの朝めし、ヘミングウェイのそば粉のパンケーキや豆の缶詰、若草物語のブラマンジェ、エドウィン・マルハウスのPB&J(ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチ)など。ごろごろしながら本棚から取ってきた東理夫『アメリカは食べる』(作品社)と柴田元幸『つまみぐい文学食堂』(角川文庫)をつまみ読みしていたら夕方に。日が長くなっていつまでも明るい。梅雨がくるまえにすっかり夏ですね。

水ようかん

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朝の街中は、すっかり元の木阿弥という感じ。数か月前と比べると、仕事は落ち着いてきて、昼休みもきっかり1時間取れるようになった。本当に昼休みだけを楽しみに午前中をサバイブしているんだ。「いるんだ」って、ホールデン少年かい。朝にぎったおむすびは、昼には海苔がごはんにしっとり馴染んでおいしい。ウィズ差し入れおやつの水ようかん。『ザリガニの鳴くところ』は帯に、「全米500万部突破2019年アメリカで一番売れた本」とある。なんだかなと萎えた気分で読み始めてみたところ、冒頭からひき込まれて、カイア~てなってる。早く続きを読みたい本が鞄に入っているのはいいものだ。

 明日は休み。4週8休制だと、5月のように連休のある月は、日祝日だけで8休が消費されてしまい悲しいが、6月は日曜日以外、平日休みが4日あるのが嬉しい。書店をちょこっと覗いて、スーパーに寄りいつもよりのんびり帰宅。

コロナ騒動で、今年は梅を漬ける気分ではなかったが、山崎佳代子の『パンと野いちご』を読んで漬けようと思った(ざっくり要約)という「天然生活」7月号の川上弘美の巻頭エッセイがよかった。戦争とウイルスでは違うけれども、非常時によりどころとなるのは食べもの、ということ。

軽バン

五月最後の日曜日。知人には明日から出勤という人が多い。自分はずっと変わりなく。マスクをして人と近付きすぎないようにしていると、私は丸腰ですよ安心してくださいと常にホールドアップしているような気持ちになる。
昨日の「サワコの朝」は、いつものスタジオ収録に戻っていたが、阿川佐和子とゲストの椅子がめっちゃ離れてた。総集編の段階はもう終わったんだなと思った。

頼んでもいないのに、無理やり本をぐいぐい押しつけてくる人が苦手、というかとても困惑してしまう。職場の休憩時間などに本を読んでいると必ず、何を読んでるの?と訊かれ、ああまただとうんざりしつつ、でも訊かれたからには無視するわけにもいかず答えると、「ふーん」とか「へえー」で終わる。そこから有意義な方向に話が展開することはほとんどない。以前、上司から尋ねられた時、たまたま横山秀夫の『64』を読んでいただけなのに「そういうの読むんだ、僕と同じ」とたいそう喜ばれ、それから横山秀夫のこれは読んだかだの、同じ系統の警察小説をこれ面白かったから読んでみてだの攻撃にあい(頼んでないよ!)閉口した。年上の男性にその傾向が強いようである。性別や年齢で一括りにするのは危険だけど、経験的にそうなので仕方がない。俺は何でも知っている俺が色々教えてやるというのが好きなのだろう。そんなことが続いてから、職場では、人に見つからないように本を読んでいる。

無理やり押しつけられるのは嫌だけれど、新聞や雑誌の書評や書店の選書コーナーやネットのオススメ本なんかを見るのは結構好きだ。その中から自分の気になるのを読めばいい。読んで気に入ることもあれば気に入らないこともあり、気に入れば、そこからまた芋づる式に広がってゆくのが楽しい。上司からしつこく感想を訊かれることもない。

今は、西崎憲『未知の鳥類がやってくるまで』(筑摩書房)を読んでいる。これはちょっと前に絲山秋子が、「軽バンで寝っ転がって読んでいる。とてもいい」と「軽バンで寝っ転がって読んでいる」写真付きで紹介していた本。本越しのリアウィンドウから見える空と緑につられて無性に読みたくなってしまった。向こうからぐいぐい来るより、軽バンのほうにずっとそそられる。

領収日付印

月曜日。曇り。時々青空が覗く。朝の電車もずいぶん人が増えてきた。月曜恒例の朝礼。いつも通り、一人ずつ今週の抱負みたいなことを言わされる。考えなくてもいいように、言うことは2パターン決めていて毎週交互に同じことをねじ式の人のポーズで機械的に繰り返しているだけだが、特に注意とか指摘されたことはない。人の話を聞いていないのか、あきらめているのか。Sさんは、毎週趣向をこらして意欲的、建設的なことを言うのですごいなあと感心するのだが、あまりにクドくて、結局誰も聞いていない(ように見える)。

昼休み。ペイデイなのでお金をおろし、コンビニで自動車税を払う。領収日付印の欄にポンポンと押してくれる丸い日付印が、四角い枠の中にきちんと正しい向きで押されているとスカッと気持ちいいのだが、今日の店員は、ちょっとどこ見て押してんの!と言いたくなるほど、向きは斜めで枠から半分ぐらいはみ出しやがっていた。納めたことがわかればそれでいいようなものだけど、なーんか気持ち悪いわ。松田青子が風景印を求めて郵便局を巡る本で、朱肉が古いとか、ぐりぐりしたとかやたら不満を書いていたが、その気持ちがわかる。

日付印を斬新な手法で押されたついでに、コーヒーとサンドイッチを買い、近くの公園で食べる。ちょうど木陰のベンチが空いていて周囲に誰もいなかったので食後原田宗典メメント・モリ』(岩波現代文庫)を読んでしまう。「新潮」掲載時に読んだのだけどまた読みたくなって。新潮社の本は自動的に新潮文庫に入るイメージがあるが、今の原田宗典は新潮社より岩波とのパイプが太いということだろうか。原田宗典新潮文庫は、原研哉のデザインで統一されていて、小説は表紙が黄色、エッセイは青、そして背表紙がシルバーでかっこよかった。子供の頃ハマっていた抱腹絶倒のエッセイ群を読む気はもうしないけれど、初期の面白せつない小説は読み返してみたい。『スメル男』、『十九、二十』、『優しくって少しばか』、『しょうがない人』。

夕方、緊急事態宣言が全面解除される。

初夏の色

日曜日。晴れ。初夏という感じ。窓を開けているとカラッとした気持ちの良い風が入ってくる。布団をサマー仕様に替えたら寝心地がよくてなかなか布団から離れられない。
私の理想の生活は、これまで何度も繰り返しているのでミニにタコができる(田代まさし)と言われるかもしれないが、左の人と同じで、今日だらっだらと読んでいたのは右の本たち。
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空腹になったらごはんを作って食べ、その合間におやつ休憩、洗濯物を取り込んだついでにベランダで外の風にあたる。休日の最大の醍醐味は、まだ明るいうちから風呂に入り、ピジャマ(町田康がうつった)を着て、もういつでも寝られる状態になってからさらにだらだらすること。ひさびさに『コクソン/哭声』と『オールド・ボーイ』を見た。痛い~。
村上春樹羊をめぐる冒険』の後半、「僕」が北海道の鼠の別荘に行ってからが特に好きだ。古いレコードを聴き、本を読み、料理を作って食べる。念入りに掃除もする。「僕」は元祖ステイホームを満喫する人だった。