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ヨムヨムエブリデイ

おはよう

マックスの ”ハロー” を聞くのが好きだ。

ルシア・ベルリンの「ソー・ロング」の冒頭の一文だが、冒頭からこれだから堪えられんな。

私は、同僚のNさんの「おはよう」を聞くのが好きだ。一応先輩にあたるので、こちらは「おはようございます」と言うのだけれども、毎朝言ってると、「お」とか「ご」とか「す」とかがすり減って消滅してしまい「はよざま~」となる。「はよざま~」と声をかけると、少し照れながら笑いを含んだ声で「あっ、おはよう」と応えてくれる。必ず最初に「あっ」が付くのがいい。カシミヤのような手触りの声。このやわらかなカシミヤの声に包まれて二度寝したいな。でもすぐに仕事の現実が戻ってきて、カシミヤの魔法は5分で消えてしまう。

伊藤朱里『きみはだれかのどうでもいい人』があまりにもヒリヒリしてもう勘弁してください、という読後感だったので、これまで未読だったものも読んでみたくなり『緑の花と赤い芝生』と『稽古とプラリネ』を読んだ。「もったいなくて読めない」が好きな本への最上級の愛情表現なのだけど、「他のも読みたい」もかなりいいセンいってるってこと。じわじわ広がっていくの楽しい。太宰治賞は、津村記久子、今村夏子、栗林佐知など好きな作家が多い。

パーカーのフード

カーテン越しに明るい日差しを感じる暖かい日。週日の蓄積した疲れが抜けきらず、日曜日は電池切れでぐったりして布団から出られない。怠け者だからそれはそれでいいのだが、動けるのに動かないというのと、動きたいけど動けないというのとは全然ちがう。動けるのに動かないのは、自分が何かを操っている気がするが、動きたいけど動けないのは、得体のしれない何かから牛耳られている感がある。寝ころんだまま、本を読んだり、録画のたまったのを見たりしていたら、もう夕方。

片山令子『惑星』(港の人)を読んだ。巻末に著者のポートレート数枚が掲載されているのだが、「1984年頃、井の頭公園にて」というキャプションの付いた写真が目に留まる。パーカーのフードをかぶった、ちょっと気取った感じの写真。全然詳しくないのだけど、パーカーのフードをかぶるといったら、なんかエミネム?とかそのあたりの人がやっていたイメージが強いが、1984年、35年くらい前にすでに普及していたのか。新しめのところでは(といっても5年前)、映画『監視者たち』のハン・ヒョジュのパーカーのフードかぶりコーデがよかった。この本の注目点はそこかよ!他にあるでしょと思うも、片山令子『惑星』=パーカーのフードでインプットされてしまった。細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖。
「たとえば、すっかり忘れた頃、もたらされる誠実な返信。わたしは、そんな何気ない出来事こそ、人生の結晶だと思っている」(p.198)

週末に開催された本屋博のトークイベントの進行役として登場する蔦屋書店の北村さんを見に行きたかったのだけど、仕事で行けず。北村さん、活躍されているようでうれしい。リニューアルした「暮しの手帖」の目利きの本屋さんに聞いてみたのコーナーにもでていて、自己紹介で、好きな作家にチェーホフ山田稔藤沢周平を並べているところとか、ちょっと頑固そうなところとか、ああ、変わってないなと思った。

地図帳

昨日今日と、冬らしい寒さ。帰り、雨。仕事ますます忙しく、まためまいがぶり返さないかヒヤヒヤしている。夕ご飯は、冷蔵庫の余り物の野菜、きのこ、ちくわなどをどっさり入れて玉子を落とした鍋焼きうどん。時間がなくてめんどくさいときは、簡単であったまる。食後、同僚からおすそ分けしてもらった林檎。シャクシャクしておいしい。

青山七恵『私の家』を読んだ。3世代に渡る家族の群像劇11編が収録された連作短編集(または11章立ての長編小説?)で、爆発的な面白さではないが、程よいユーモアがあり、昼休みや通勤時や寝る前に1編ずつ読んでいくのをとても楽しみにしていた。その中で、

ひとまず何かをくれるひとが親たちにいるということに、梓は彼らの子としてなんとなく安心する。誰かに何かをあげたりもらったりしているうちは、人間はしっかりしていられるという気がする。

という文章が心に残っている。自分もちょっと前に似たようなことを感じたばかりだったから。

正月休みに帰省したとき、居間のテーブルの上に高校生が使う地図帳が置いてあった。ゆく年くる年にでてくるお寺の場所や、駅伝のルートなどをいちいちそれで調べては、へぇとかほぉとか感心している母に、それどうしたの?と訊いたら、お向かいのジュン君が学生時代の教科書なんかを全部捨てるっていうからおばちゃんに地図帳ちょうだいってもらっちゃった。スマホだとこんなにバーッとテーブルに広げて見られないから便利よー。ラグビーWCのときは大活躍、イングランドウェールズスコットランドの境界わかる?などと熱く語りだしたので、なにはともあれ楽しそうでよかった、ジュン君ありがとうと思った。

柴崎友香の『春の庭』では、登場人物たちが何かをあげたりもらったりすることが繰り返される。実際そういう体験をすると、めんどくさいと思うこともあるのだが、まあ、ものをあげたりもらったりしているうちは大丈夫、という感じはある。

ノルマ

平日休み。なにか自分の周囲が、『パラサイト 半地下の家族』を見てない奴は人間じゃねえみたいなムードになっているので、さっさとノルマを果たそうと思った。12時台から始まる回のを見ることにして早めに家を出てモーニングサービスを食べる。コーヒーとボイルドエッグとサラダ。なんの変哲もないメニューなのにモーニングだとなぜかものすごくおいしく感じる。映画が終わったのが15時前。これで、『パラサイト』をまだ見ていない人から、すでに見た人の側に移った。ちょうどランチタイムのピークが過ぎた時間で、映画のことを思い出しながらゆっくりカレーを食べる。その後、書店をぶらつく。大型書店をうろうろするのが一番楽しい。疲れたのでミスドのドーナツとブレンドコーヒーで休憩。ピエール・エルメのドーナツもいつの間にかノルマ化していた。まだ食べていない人から、すでに食べた人の側に移る。コーヒーをおかわりしてしばらく本を読んでから帰った。モーニングサービス、映画、書店、カレー、コーヒー。黄金の休日。
昨日のアトロク、翻訳家たちに素朴な質問をぶつける!(ゲスト:柴田元幸岸本佐知子、斎藤真理子)がとても面白くて聞き入ってしまった。一人称の話とか。

快晴

日曜日。霧が晴れるように一日一日少しずつめまいが治まってくる間、仕事に行くのがしんどかった。待ち焦がれた休日。朝起きると、雲ひとつない冬晴れの空。先週と全く同じ空に見える。でももう世界はぐるんぐるん回っていない。静止した世界はなんて素晴らしいんだろう。コーヒーとトーストを傍らに、センター試験問題の原民喜「翳」を読む。
首から肩にかけてカッチカチに凝っているのでひさびさにスーパー銭湯に行くことにする。せっかく来たからには、すべての種類の風呂に入ってみる。湯の中で思いきり手足を伸ばせる気持ちよさ。体がふにゃふにゃになり、指先がシワシワになる。風呂上がりに飲む冷えた炭酸のうまさよ
体を冷ましながら、滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読む。誰かを好きになったときは、同じ空間にいたら自然と目で追ってしまうとか、占いの結果が自分のの次に気になるとかでわかるのだけど、読むのがもったいないと思ったら、その本のことが好きだということ。『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』は年末に買ったのだが、もったいなくてなかなか読み始められなかった。すぐにも読みたいのだけど、もったいなくて読めない。読み始めたら読み始めたで、終わるのがもったいなくてわざとゆっくり読む。じゃあなんで今読んでいるのかというと、体調が悪かった先週を乗りきったので、もう読んじゃってもいいんじゃない?と思ったから。自分への快復祝いみたいなもの。もったいないわーもったいないわーと言いつつ、残りのページが少なくなっていくのを惜しみつつ読む幸福感、たまらない。いつまでも終わらないでほしい。