y o m u : n e l

ヨムヨムエブリデイ

立春

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               キム・ジヨン氏は私だ

 

先週後半にインフルエンザの同僚たちが復帰してきてようやく一息ついた。でも、今年のインフルは郵便配達みたいに二度ベルを鳴らすことがあるらしいが。土曜日の仕事中にボスから呼ばれ、「YOU、月曜日休んじゃいなよ」「え、マジいいんすか!」となり、今日は休み。疲労のピークだったので、恵みの月曜日の休日。晴れ。春の気配がじわじわ空気に混じってきているのを感じる。

昨日は、豆まきをし、恵方巻きを食べた。近頃は恵方巻き警察も笛を吹きながらすっ飛んでくるようになったが、丸かぶるの、単純においしいし楽しいから好きだ。今朝も昨夜の残りを朝ドラを見ながらもぐもぐ食べた。萬平さんと福ちゃん、どちらがおいしそうに麺をすするか、演技対決をしているようで可笑しい。

平日休みは久しぶりなので、昼頃家を出て、銀行で用を済ませ、郵便局でスイーツ切手を買い、年賀はがきの当選切手シート(2枚)をもらう。ランチタイムの波が去った店でカレーのランチ。その後、買物、本屋を回遊し疲れたので喫茶店でチーズケーキとコーヒー休憩。まったく時間を気にせず本を読んでいて、気付いたら日が傾いていた。帰り道はさすがにまだ風が冷たい。

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、吉田戦車『ごめん買っちゃった マンガ家の物欲』(光文社)を読んだ。数年前に日本翻訳大賞を受賞したパク・ミンギュの『カステラ』を読んでから韓国文学がぐんと身近になった。『フィフティ・ピープル』なんて50人余りもの登場人物を把握できるのかいなと腰が引けていたが、日本版に付けられたポップなイラストに助けられた。

赤い光

今年のインフルエンザはなんだかいつもとは勢いが違うようで、同僚が次々に倒れ、常に人手不足の状態で仕事をまわさなくてはならず、毎日残業地獄で疲労困憊。綱渡りの長い長い一週間が終わり、やっと明日休みだ、やったー!とアメリカの学園ドラマの卒業式で一斉に帽子を高く放り投げる人のような気分で退勤。エアハットトス。ほんと早く隠居したい。朝から口にしたのはキットカット一片だけだったので、あったかい味噌汁の付いた定食的なものを食べたくなり、鶏と野菜の黒酢あん定食を頼む。黒酢の酸味が疲れた体に沁みておいしい。明日外に出なくていいようにスーパーに寄ると、体が欲しているのかアイスやらチョコやら大福やらやたら甘い物を私の手が勝手にどさどさカゴに入れてしまった。帰路、冷たい北風に打たれながらしばらくボーッとビルのてっぺんで点滅する赤い光を見ていた。

読んだ本、千早茜『わるい食べもの』(集英社)、村田沙耶香『私が食べた本』(朝日新聞出版)、あと年末に読んだ『不意撃ち』が面白かった(特に「月も隈なきは」が好き)ので、同じ著者の『父・断章』(新潮社)を。

巨大なレディオ

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「最近さあ、例のやつ、やんないの?」「例のやつって?」「地下鉄銀座線っていうか林家木久扇っていうか蝋梅っていうかそんな感じの例のアレ」ともちろん誰も言わないが、ひさびさにそんなアレをやってみた。ジョン・チーヴァー『巨大なラジオ/泳ぐ人』(新潮社)。2段組で改行少なめ、文字がみっちり詰まっている一冊。

先週は、正月明けと繁忙期と同僚複数の病欠(風邪蔓延中)が重なり、とんだ一週間だった。からのこの2連休はうれしい。昨日はボロボロの体をどうにかしようとスーパー銭湯へ。骨まで軟らかくなるまでたっぷりの湯につかり、湯上りに飲む冷えた炭酸のうまさよ
体を冷ましながら東直子短歌日記2007 十階』(ふらんす堂)をぼんやり読む。以前からふらんす堂のサイトの短歌日記シリーズを愛読しているが、今年から東直子さんがつぶやき始めた短歌日記2019も楽しみで、懐かしくなって旧著のこれを読み返しているところ。歌集や句集の自分の読み方にはまだどこか身構えてる感があり、読み方もなにもただ読めばいいだけだよと言われるかもしれないが、散文を読むようにナチュラルには読めない。この短歌日記シリーズは短歌に添えられた日記部分を読む楽しみもある(たぶんそっちのほうが強い)ので、あまり歌集ということを意識せずにいられるのかもしれない。昨年の九螺ささら『神様の住所』も短歌と散文の共演がとても面白かった。

今日は一日寝たり本読んだり。昼はネギ、もやし、玉子入りラーメン。萬平さんも早くラーメン作ってほしい。夜は麻婆豆腐。斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書)、小池昌代『影を歩く』(方丈社)、橋尾歌子『それいけ避難小屋』(山と渓谷社)を読んだ。

遊び半分

冬晴れが続く。4日が仕事始め。空いてる通勤電車、嬉しいような悲しいような感じ。実家での正月は起きている間はつねに口の中に何かが入っている状態だったのが、昨日今日は朝から退勤するまで口にしたのはお土産の「萩の月」一個のみ。その反動で帰りにラーメンと餃子のセットをガツガツ食べる。入浴後、いつもより時間をかけていれたコーヒーをすすりつつ、やっぱり自分の家が一番落ち着くわーと思う。
年頭だからといって目標や抱負などは特にないが、いつもなんとなく心に留めていることがふたつある。ひとつは小沼丹の「銀色の鈴」から。大好きな大寺さんもの。大学生と高校生の娘をのこし大寺さんの奥さんが急死し、お手伝いさんを雇わずに娘たちが家事をすることになる。

大寺さんは娘がしょぼしょぼしているのは面白くない。しょぼしょぼ、淋しそうな恰好で食事の用意をされたら遣切れないと思う。或は、それが義務のようにやられたら適わないと思う。遊び半分みたいに片附けてくれたらいいと思っているのである。

食事の用意をされたらとか、義務のようにやられたらとか受け身なのがちょっと引っかかり、じゃあ大寺さん自身は食事の用意や家事はしないんだな?全部娘にやらせるんだな?と絡みたくもなるが、「遊び半分みたいに片付けてくれたらいい」というところが好きだ。
もうひとつは、津村記久子「職場の作法」(『とにかくうちに帰ります』所収)の田上さんの仕事への心構えから。

不誠実さには適度な不誠実さで応えてもいいけれど、誠実さに対しては全力を尽くすこと。

そんな生易しいもんじゃないぜと言われるかもしれないが、仕事でも毎日の生活でも遊び半分みたいな気分をいつもベースにもっていたい。ただし誠実さに対しては全力を尽くすって感じで今年もやっていこうと思っています。穏やかな一年でありますように。
昨年の読み納めは辻原登『不意撃ち』(河出書房新社)。読み初めは長嶋有『私に付け足されるもの』(徳間書店)。お正月からちょびっとずつ楽しんで読んでたのが終わってしまった。いいスタート。

2018年の10冊

今年読んで印象に残っている本(順不同)。こんなえらそうに挙げちゃっていいのかなーと思うも、人が好き放題選んでいるリストを眺めるのが単純に楽しいので自分も好き放題選んでみた。

小山田浩子の新刊が読めてしあわせだった。『工場』もやっと文庫化されて二重の喜び。/『公園へ行かないか? 火曜日に』これからトモカが旅するときは、どうか眺めの良い部屋に泊まれますようにと祈っている。/『リトルガールズ』「年をとるってこんなにいいことだとは知らなかった。誰に何を言われても、もうちっとも気にならない」大崎せんせ〜い!/『錆びた滑車』葉村晶シリーズ最新刊。おおむね安定して面白い。好きなシリーズの新刊が文庫書き下ろしで読める喜び。文春文庫ありがとう。/クレスト・ブックス創刊20周年。旧作の『奇跡も語る者がいなければ』を読みづらいなあとなんとなく読み始めたら引き込まれてあとは一気に。読まず嫌いはいかんなと思った。/『「国境なき医師団」を見に行く』偽善だという人もいるが、現場ではそんな議論は意味がない、大変な状態の人たちがいて、それを助ける人が自分にできることをしているだけ。/須賀敦子没後20年。素晴らしい年譜。さらに今年は大竹昭子のミラノ、ヴェネツィア、ローマの三部作(+東京)が合本化され『須賀敦子の旅路』に。文春文庫ありがとう。


■面白い本をいっぱい読めて愉快な一年でした。読むのがますます楽しくなっています。来年は古い本をもっと読みたいな(と毎年言ってる)。今年も読んでくださりありがとうございました。どうか来年がよい年でありますように。