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ヨムヨムエブリデイ

夏祭り

7月は梅雨寒の曇天が続き、今年はこのまま冷夏となるかもと思っていたが、とんでもなかった。暑い。汗をぬぐいながら8月に突入。仕事終わりに友人と待ち合わせ、うな重を食べる。絶滅危惧種指定されてから罪悪感や後ろめたさを感じ(させられ)るようになってしまったが、食べるとやはり旨くて旨くて元気がもりもり出る。食べ終え外に出ると、町の夏祭りなのか、すごい賑わい。アイスを舐めながらそぞろ歩く。夜になっても気温はほとんど下がらない。友人と別れ、こんな気分のいい夜にはなにか文庫本を1冊買って帰りたいなーと書店に寄り、あまり種類がないなかから、森本俊司『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』(文春文庫)を選ぶ。帰りの電車では松本清張『火と汐』(文春文庫)の続き。本のなかの京都も暑そう。「八月十六日、京都・五山の送り火の夜。興奮にざわめくホテルの屋上から、情事の相手が姿を消した。女が残していったスーツケースを手に、呆然と東京に戻った男を待っていたのは……」と裏表紙のあらすじにある。たぶん読んだことあるが忘れている。男を待っていたのは何?

黒いカーディガンの女

ようやく夏のエンジンがかかってきた感じ。10日ほどあいた間に、ルシア・ベルリンにノックアウトされ、選挙が終わり、また一つ歳をとった。いつまで「じゃないほう」に投票し続けないといけないんだろう。投票率の低さを見ると、投票率と視聴率は似ているような気がする。この間の「きのう何食べた?」なんか、自分の周囲ではほぼ100%に近い人が見ていたのに、実際の平均視聴率3%台で、すんごく狭くて偏った世界で生活しているのだなと思った。

ここのところ一番オッと思ったのが、芥川賞の受賞インタビューで動く今村夏子を見られたこと。今村夏子の小説の批評や感想には必ず「不穏」という言葉がでてくるが、ああいう変な話を書く人はどういう人なのだろうと興味津々。黒いカーディガン姿で登場し記者の質問に誠実に淡々と答えながらも、どこか油断ならない感じがうっすらとするのがよかった。むらさきのスカートか黄色いカーディガンを着てきて欲しかったと言われていたが、今村夏子で画像検索すると、いつもなにかしら黒いものを身に着けているので、もしかしたらジョージア・オキーフのようなこだわりがあるのかもしれない。

読んだ本。中原昌也『パートタイム・デスライフ』(河出書房新社)何だかよくわからないが、いきなり寝袋とかラルフローレンのバスローブとかハンチングのかぶり方とか給湯器のお湯の沸かし方とかを語り始め、笑った。川本三郎『東京は遠かった 改めて読む松本清張』(毎日新聞出版松本清張を改めて読みたくなる。松本清張の文庫本をかばんに入れて旅行に行きたい。

 

夏物語

涼しい、というか肌寒い。暑さに弱い自分にはありがたい。今週やっとボーナスが出て明日からは2連休。しばらく気に病むことが何もない。

ルシア・ベルリンの作品集のはじめの何篇かを読んで、ぐわー、もっと読みたい、だけどもったいなくて読めなーいというジレンマに陥っている。しあわせなジレンマ。そんなところに、杉山清貴&オメガトライブかっていう川上未映子の新刊『夏物語』(文藝春秋)が出て、これは芥川賞受賞作の『乳と卵』のリブートから始まるとのことで、じゃあまずは『乳と卵』を読み直そうじゃないかと思い文庫本を持参する。世間は3連休に入っているのか通勤電車はわりと空いていて、行きと帰りに読み終えた。昔読んだときは、語り手の過剰な大阪弁語りを持て余していたような気がするが、こんなに面白かったっけとどんどんページを繰っていった。

過去の芥川賞作を読む際は「芥川賞のすべて・のようなもの」というサイトが、その時の候補作や選考委員や簡潔な選評がひと目でわかるので便利だ。『乳と卵』を◎で強く推しているのが村上龍山田詠美であとはおおむね賛成、石原慎太郎がひとりだけ「俺は認めん」と突っぱねている。「あと十年たった緑子がどうなっているのか、たいそう興味をひかれる。病んでいるのに、不思議にすこやかな印象がある」と川上弘美。ついこないだのように感じていたが、もう10年以上も前の作品だった。『夏物語』であの3人、特に緑子にまた会えるのが楽しみ。

「群像」8月号を読む。川上未映子×岸本佐知子「ルシア・ベルリン、かけがえのないボイス」。ルシア・ベルリンに似ている作家が思い浮かばないという岸本佐知子フラナリー・オコナー色川武大の『怪しい来客簿』を思い出すという川上未映子。あと津村記久子の「昭和のファミコンと欲望の行方」というエッセイに、最近物欲がなくなり「科捜研の女」の再放送の録画を見るのだけが楽しみだが、2回目までは面白く見るが3回目はさすがに厳しいとあり、笑った。

ぷしゅー

また月曜日が来た。一週間に月曜が3回あるような感覚。雲の間から青空がのぞく。
仕事でたまたま近くに来ているから何か食べない?と友人から連絡があり、仕事終わりに落ち合う。餃子を食べて、ビールを飲んでぷはーっ!としたいとのリクエストで中華屋へ。自分はチャー餃を頼む。この友人は、村崎ワカコの「ぷしゅー」にはほんっとイラッとさせられるそう。「ぷはーっ」とか「カアーッ」とか言ってほしいと。大切なお知らせが大切だったためしがないだのブーブー話してコーヒーを飲んで別れた。
帰りに本屋をのぞくと、10日頃発売予定と予告されていた『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』がもう並んでいて、ハズキルーペをお尻で踏んずけた人みたいにキャッと飛び上がってしまった。レジへ直行。大興奮して入手した本を実際読んでみるとそれほどでも……となることも多いのだけれど、目当ての本を見つけて嬉しくてたまらずレジへ急いだ記憶はずっと残るものだよな、と思った。『見仏記 道草篇』を読みながら帰る。そしてなんでいまこれなのか謎の、吉村昭羆嵐』(新潮文庫)を読み終えた。「おっかあが、少しになっている」

余分なもの

湿気のモイスチャー効果で、部屋のあらゆるものがしっとりと潤っている。クイックルワイパーのすべりが悪い。布団を上から押すと高野豆腐のように水分がじゅわーっとしみ出てくる(イメージです)。

先週、西東三鬼『神戸・続神戸』(新潮文庫)が出ていたので買ったのだが、この新潮文庫版は非常にうれしいものだった。というのは、講談社文芸文庫版の『神戸・続神戸・俳愚伝』は持っているのだけれども、以前からこの中の「俳愚伝」は(自分には)余分だなと思っていたから。いや余分なんていったら失礼な話で「俳愚伝」も良いのだが、「神戸」「続神戸」だけで一冊にまとまっていたら個人的にパーフェクトなんだけどなーとずっと思っていた。そこに500円からおつりがくるプライスで新潮文庫がドンピシャときて喜んだ。
余分ついでに、たとえば絲山秋子沖で待つ』は、文庫化の際に追加された石原慎太郎を茶化している「みなみのしまのぶんたろう」があまり好みではないため、単行本のほうを好んでいる。たくさん収録すればお得感があり喜ぶかと言われれば、そうでもない。人それぞれの好みで好きなバージョンもちがうのだと思う。『神戸・続神戸・俳愚伝』のほうがいい、「俳愚伝」最高!という人も多いのかもしれない。

藤井一至『土 地球最後のナゾ―100億人を養う土壌を求めて』(光文社新書)、赤松利市『らんちう』(双葉社)、津原泰水『11 eleven』(河出文庫)を読んだ。