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ヨムヨムエブリデイ

二〇二四年二月

先週からゆっくり読んでいた柴崎友香『続きと始まり』(集英社)がとうとう終わってしまった。
ライ麦畑のホールデン少年は、ノックアウトされる本を読み終わったとき、それを書いた作家が大親友で、電話をかけて話せるようだといいのにと言ってたが、電話が苦手な私は、電話の代わりに作家や登場人物の名前を呼びたくなってしまう。『続きと始まり』を最後まで読み、本を閉じたとき、思わず柴崎さ~ん、れいさ~ん、河田さ~んと呼んでいた。年に何度か「読んで、呼ぶ」本に巡り会える喜び。ディテールが素晴らしくてどのページにも「あっ」と立ち止まるところがあった。

 こうして、何かが起きて、画面を見続けるのは自分がこれまで生きてきた中で何度目だろう。
 地震があり、事件があり、テロがあり、戦争が始まり、そのたびにこうしてひたすら画面を見る。二〇一一年の震災のときからは、流れてくる報道の映像だけでなく、インターネットで情報を探すことも増えた。
 しかし、それで何かが変わったことはない。
 自分はいつも見ているだけだ。画面越しに、遠く離れた安全な部屋の中で、「情報」を見ているだけ、時間が過ぎていくだけだ。(p.330)

二〇二二年二月ニ十四日の午後、ウクライナの戦争の始まりを一人の部屋で見るシーンで柳本れいの章が終わっている。それから二年後、能登地震があり、戦争はまだ続いている。れいさんもどこかで見ているに違いない。

柴崎さんと古賀及子さんの対談が四月に行われるそうだが、この組み合わせを企画した方すごいです。