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ヨムヨムエブリデイ

ホーム……ラン

f:id:yomunel:20201002091010j:plain:left10月が始まる。十五夜。月が輝いていた。今年は、夏が暑すぎたせいか、それとも非常事態のせいか、今の気候がとても心地よく感じられて、いい季節だないい季節だなと毎日嬉しがっている。

今日の昼読はスティーヴン・ミルハウザー『ホーム・ラン』。先日の『マーティン・イーデン』(丸亀製麺のCMのナレーションで丸亀と製麺のあいだに一拍置く感じで「マーティン……イーデン」と言うと重厚感がでてかっこいいよ!)と同じ白水社刊でどちらも緒方修一装丁。でも特に今これを読みたいという気分でもなかった。新潮に掲載された小山田浩子の書評を読み、作家の読書道で高山羽根子が好きだと言っていて、瀧井朝世や豊崎由美がそれぞれ違う本の書評の中でこの本に触れていたりして、なんとなく手に取(らされて)しまった。そうはいっても、最初の短篇の不穏な冒頭「玄関に現われた見知らぬ男に、私はノーと言うべきだったのだ」からたちまち引き込まれたが。

何の前情報もなしに何かを手にすることはもうないのだろうか。

 一般論を言えば、私自身は不純な読者です。誰かの文章をきっかけに(ガイドとして)、別の誰かの文章に出会い、その文章にはまって行くというのが、私の場合、しばしばです。しばしばというより、ほとんどです。/けれど、他ならぬ小林秀雄は、不純な読者(書)を強く嫌っていました。常に純粋読者(書)だけを求めていました。要するに、自分の頭で考え、自分の心で感じよ、という人でした。 坪内祐三『考える人』

この文章が書かれたのは15年ぐらい前で、その後スマホSNSの時代になり、純粋読者になるのはもう無理(少なくとも自分は)ではないかな。誰かのガイドのおかげでそれまで知らなかった世界を知ることができるのは素晴らしいけれども、「サキの忘れ物」の千春のような感じでまた本を読めたらいいなと思う。