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ヨムヨムエブリデイ

目が閉じる系

お盆休みで乱れた仕事の流れがやっと元にもどりほっとしている。夏の出口も見えてきた。嬉しいのは、昼休みにみんな思い思いにランチを取りに出たがらんとした部屋でゆっくり本を読める時間ができたこと。ランチを手早く済ませ「賞味期限今日までですよ、食べて!」という付箋が貼られた阿闍梨餅とコーヒーをおともに千葉雅也『アメリカ紀行』(文藝春秋)を開く。

本を読んでいて、目が閉じるという現象にしばしば見舞われる。例えば、みすず読書アンケート号に載るような、自分の興味の範疇外のものだったり、自分の理解能力を超えた難解なものを読んでいるときそれが起きる。目を閉じるのではなく目が勝手に閉じる。いや、目自体はカッと見ひらかれているのだけれども、目と脳をつなぐ回線のどこかがシャアーッと閉じてしまいそれ以上一文字も入っていかなくなる。郡司ペギオ幸夫『天然知能』の半分は目が閉じていた。千葉雅也の前の著作でも目が閉じた。でもこの『アメリカ紀行』は自分の好きな紀行文形式ということもあり、たまに目が閉じそうになりながらも面白く読む。他のもまた読んでみようかという気にもなっている。

東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)も楽しく読んだ。六車由実 『驚きの介護民俗学』あたりから、このケアをひらくシリーズをぽつぽつと読んでいる。最近は専門家が書く学術書とエッセイの間のような本がよく目に留まる。昔から新書にそういうものが多かったが。ただ、専門家が一般読者にもわかりやすくするために無理に面白くしよう面白くしようとする姿勢が読んでいるとしんどくて、そんな過剰な面白要素はいらないから普通に書いて~と思ったりするのだが、『居るのはつらいよ』は、その辺のユーモアの塩梅というかバランスが(自分には)ちょうどよかった。
目が閉じちゃったり、そんな面白要素はいらんと言ったり、自分の気持ちがいちばん難解。