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ヨムヨムエブリデイ

新年度

送別会だの年度替わりだので先週からバタバタして落ち着かない。実質的に今日から新年度が始まる。半分以上残っていた有給休暇は、きれいさっぱりと流れ去り、未開封のピッカピカの有給休暇が新たに支給された。S氏が退職し、新しい人がやってきた。競馬とパチンコが好きでヘヴィスモーカーのS氏と若手のK君と私の3人は、年齢も趣味もバラバラだが、あまりやる気がないという点で妙にウマが合い、たまに一緒にランチを食べに行った。お気楽な特命係的なチームという感じだった。競馬で儲けたS氏がよくご馳走してくれるので、K君と相談してS氏の誕生日に職場用のクロックスを贈ったら、これいいねととても喜んでくれた。毎朝「おはようございます!」と挨拶をすると、照れくさいのか、こちらも見ずに「うい〜」と言うだけだったS氏は当然もういないが、これもすぐに慣れるだろう。
どうなるかと思っていた雨も帰りにはやんだ。通勤途中にあるまだ五分咲き程度の桜の下を歩きながら、この間読んだ柴崎友香『わたしがいなかった街で』のこんなところを思い出していた。

 日が長くなってまだ薄闇で、暑くも寒くもなく弱い風が吹き、そのような空気の中を一人でただ自由に歩けるということは、もしかしたらこの時間が自分の人生の幸福で、これ以上のスペシャルなことは起こらないし望んでもいないのではないかということを考えながら、しかしそう言うとたいていの人には平穏な日常こそが素晴らしいという意味にとられるかもしれないが、自分は「日常」があらかじめ確かにそこにあるものだとは思えないし、たとえば仕事に行ってごはんを食べて眠るというような日々のことだとも思っていないし、それぞれに具体的で別のものがそこにあるのを一つの言葉でまとめることができなくて、「日常」という言葉を自分自身が使うこともない。単純にスペシャルなことがない、ただそれだけのことなんだと、不意に感じるだけで、この感じこそが最大の意味なんじゃないかと思うことをどういえば伝わるのか、そもそも誰に伝えればいいのか、と思いながら、緩く蛇行した商店街から枝分かれする路地をでたらめに歩いた。