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ヨムヨムエブリデイ

あの頃

木下ほうかのような上司の下で1ヶ月がんばったので今月も給料日がやって来て、武田百合子『あの頃 単行本未収録エッセイ集』(中央公論新社)を買った。思っていたよりずっとボリューミー。うれしい。でもこわくて読めない。内容がこわいのではなく、本を開くのがこわい。古本や図書館から借りた本だったら、読みグセ、というか開きグセのようなものがついているので、気楽にパッと開いて読めるが、新刊で買った(大切な)本を開いて、パキッとか音がしようものなら、「えっ、えっ、今、パキッつったパキッつったどうしようどうしよう取り返しがつかないことをしてしまった!」と分娩室の前の夫のようにおろおろしてしまう。それで3〜4センチ開いた隙間からそっと覗き込んで満足しているところ。まあそんなあれこれが愉快でしかたがないのだが。で、本命は置いといて他の本を読む。
昔、メタローグから出版されたリテレール・ブックスシリーズに『私の好きなクラシック・レコード・ベスト3』があり、堀江敏幸氏が「少年の耳に鮮烈な印象を与えた3枚」というテーマで、

を挙げていた。1994年刊行の本なので、86名のアンケート回答者の中で、堀江さんと小川洋子さんが特に若手という印象だった。これを読んで、堀江さん、いつか音楽についての本を出さないかなあと思っていたら、今年『音の糸』(小学館)が出た。「クラシックプレミアム」誌にH26年1月からH27年11月まで連載された記事に加筆しまとめたもの。
エッセイに取り上げられる曲を聴きたくなり、実際聴きながら読んでもいたのだけれど、文章のまわりくどさやほのめかしのようなものが、すこし鼻につくようになってしまった。ソチ五輪を「黒海沿岸の温暖な小都市で開かれたスポーツの祭典」と書いたり、タチアナ・タラソワを「マスコットの白熊に似たロシア人女性コーチ」と書いたりするところ。各エッセイの締めくくりの文章が凝りすぎているようにも思う。冒頭のエッセイに登場する、十代の頃からFM放送やLPレコードを通して聴いてきた「美しく秀でた額と薄くなりかけた髪」の国際的ピアニストは誰なんだろうとモヤモヤひっかかっていると、一番最後のエッセイでマウリッツィオ・ポリーニと明かされる。
でも、以前はこういうまわりくどさを楽しんでいたんじゃなかったっけ。堀江さんの息の長い文章に身をまかせて、ゆらゆらたゆたっているのが心地よかったのではないか。それをあまり楽しめなくなっているのは、今の自分の心に余裕がないせいかもしれない。