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ヨムヨムエブリデイ

クロワッサン

10月。あれやこれやでバッタバタ。今日は半額の日だよとK君に誘われお昼はうどん。うどんも値上がり。朝晩はひんやりするが昼間はまだ暑くて、うどんのせいで汗が止まらず、ゆでだこのような顔で噴き出す汗を拭いながらふうふう戻ると「あんたら、何があった?」と驚かれる。

北村薫のうた合わせ百人一首を少しずつ読んでいると(中身が濃いのでゆっくりとしか読めない)、いいなと思う歌がいくつかでてくる。杉崎恒夫の

気の付かないほどの悲しみある日にはクロワッサンの空気を食べる

もその中のひとつだが、新刊の文庫本の表紙にも載せられているので有名な歌なのかもしれない。短歌には興味がないこともないがほとんど無知で、穂村弘東直子も歌集よりもエッセイを好んで読む。杉崎恒夫がどういう人かすら知らず(2009年に90歳で死去している)、この人の他の歌も読んでみたいと思い、とりあえず図書館から『パン屋のパンセ』(六花書林)を借りてくる。軽やかで風通しがよくとても好きな感じ。ふと荒川洋治の「会っていた」というエッセイが頭に浮かんだ。

 一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分のなかに何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。(中略)最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。読書とはいつも、そういうものである。 『忘れられる過去』朝日文庫版(p.17)

高原英理編『ファイン/キュート 素敵かわいい作品選』(ちくま文庫)をはじめ色んな短歌アンソロジーや入門書で杉崎恒夫の歌にふれていた。ふれまくっていながら、今回初めてその歌集を手にすることとなった。つくづくタイミングって不思議だと思う。梅田蔦屋書店の「はじめての詩歌フェア」で岡野大嗣のとっておきの一冊がこの『パン屋のパンセ』だった。この好きな人がつながってる感も、なんとなく嬉しい。