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ヨムヨムエブリデイ

delay、中腰、解像度

連休中、あちこち移動しながら、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』を読んだ。よかったあああ。はじめは、耳の形に自信がある主人公が、人がたくさんいる部屋に入っていくとき髪を耳にかけて体を横にして耳から入るくだりとか、クスクス笑いながら読んでいたが、「カチカチになった一物」がやたら登場するようになり、何これどうなるの?先の読めない展開に後半はページを繰る手が止まらず、読んで読んで読んでなんか胸がいっぱいになった。

先月発売分の「本の雑誌」10月号最後の「今月書いた人」のコメントに、かなりの人が「めっちゃ暑い、猛暑つらい」と書いていて、「暮しの手帖」の最新号にも、ジェーン・スーが暑いネタでエッセイを寄せている。雑誌のこの1〜2ヶ月の遅れというかズレはかえって新鮮と思った。

『公園へ行かないか?火曜日に』に、語り手が「トモカはなぜdelayなのか。何時間か何日か経ってから、このあいだ言ったことについてだけと、と遅れて答える」とクラスメイトから指摘される場面がある。「英語を理解していないから、というのもあるが、わたしは日本で日本語で話していてもdelayだ。そのことは、わたしが小説を書くようになったことととても深く関係していると、わたしは思った」この部分のdelayが特に印象に残っている。

これはエンテツさんのブログ「ザ大衆食つまみぐい」でエンテツさんが春日武彦の言葉として紹介していた「中腰で堪える」にも通じるんじゃないかと思う。「中腰で堪える」は「待つ」ということと同じ意味。「即対応しないで、とりあえず待ってみること。あえて中腰で堪えてみれば、その決意をもたらした心の強さが事態をいい方へ展開させる可能性を掴み取ってくるかもしれない」

もうひとつ、ああと思ったのが、岩波の星野博美のweb連載「今日はヒョウ柄を着る日」。目の調子が悪くてコンタクトレンズから眼鏡に切り替えた星野さんは、車を運転するとき以外は眼鏡をかけなくなる。ものがよく見えるか見えないかどうでもよくなってしまった。何もかもをギチギチに焦点を絞って見る必要があるのだろうか。見なくてもいいものまで見ようとしているのではないか。うんと解像度を落とし、データ消費量を減らそうとある日思った、と書いている。
中腰で堪えて、データ消費量を減らすこと。