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ヨムヨムエブリデイ

風の歌を聴け

10月になった。昨夜は、暴風雨。Think of nothing things,think of wind.ー何も思うまい、ただ風にだけ心を向けよう(トルーマン・カポーティ)を実践して眠れぬ夜を過ごし、朝はいつもより早めに出勤。台風一家が空を掃除してくれたおかげでワックスをかけたようにピッカピカの青空だ。朝からバタバタ落ち着かなかったのとぶり返した暑さがこたえて、帰りはもうヘトヘト。月曜日からこれで今週大丈夫だろうか。
眠くなりながら、読みさしの上原隆『こころ傷んでたえがたき日に』(幻冬舎)を少し読む。センチメンタルなおじさんが好きそうな本だな。前に出た文庫本の解説に呉智英が、すうっと読めて何も残らないが、数時間後にさっき何かいいものを読んだなという記憶だけがよみがえってくるというようなことを書いていたが、そのとおりだと思う。これまでの著書をほとんど読んでいるのだけれども、芥川賞作家の東峰夫についての話とかいくつかは覚えているが、大部分は忘れていて、でも何かいいものを読んだという記憶はなんとなく残っている。町田康のチャアミイの何がどう面白かったのか忘れているのに、あれは面白かったぷぷっって笑った記憶だけがよみがえるのと同じで、それでいいと思っている。

「真紀さんこれからずーっとそういう本読むとしてさ、あと三十年とか四十年くらい読むとしてさ――、本当にいまの調子で読んでったとしたら、けっこうすごい量を読むことになるんだろうけど、いくら読んでも、感想文も何も残さずに真紀さんの頭の中だけに保存されていって、それで、死んで焼かれて灰になって、おしまい――っていうわけだ」
「だって、読むってそういうことでしょ」  保坂和志「この人の閾」

まあ、真紀さんは、『ローマ帝国衰亡史』だとか『失われた時を求めて』だとか長い長い話や哲学の本を好んで読んでいるのだけれど。