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ヨムヨムエブリデイ

曇天

曇り。昨日と比べるとずいぶん涼しい。薄い生地の長めのジャケットの左のポケットに携帯を、右のポケットに財布などを入れていて、木や石のベンチにどかっと腰を下ろすと、携帯が硬いベンチにぶつかるゴツンという嫌な音がする。あわてて携帯の無事を確かめる。というのをもう何十回も繰り返しているのに懲りない。
堀江敏幸の『曇天記』を読んだ。「心」という字が特徴的で、漢字の左右のハライが異様に伸びやかなクセのある本文書体は何だろう。素人目なので違っているかもしれないが、筑紫アンティーク明朝か? 奥付に組版 明昌堂とわざわざ組版が明記されている。本文を読んでいると左側のハライが特に目についてくるのだが、堀江さんが「私の身体感覚が左側に鋭く反応し、それで精神的に疲弊する」(p.43)と書いているのを意図しているのだろうかとかつい深読みしてしまう。
最近、イラッとしながら堀江敏幸の文章を読むのが定着してしまった。たとえば、「つい先だって引退宣言をした、モラヴィア生まれのピアニストの顔が浮かんできた。フィリップスから出ていた『皇帝』のLPを買ったのは、……」(p.17)と続いていくのだが、モラヴィア生まれだのなんだのまわりくどく書かなくてもさっさとアルフレッド・ブレンデルと書けばよいのでは、なんて思う。しかし堀江ファンのレビューをのぞいてみると、「場所や人の固有名詞を巧みなたとえで別の文章に置換する言葉の魔術に酔った」というような記述があり、堀江ファンはこういうのを心底楽しんでいるのかー、なら私はファン失格だと思う。変わったのは自分です。
「北の国の詩人(p.84)」←それ宮沢賢治やろ! 「旅客用小型自動車(p.135)」←タクシーやろ! 「大型乗合自動車(p.136)」←バスやろ! 「その日出向こうとしていたのは、名のみ残って形のない門だった(p.169)」←虎ノ門やろ! といちいちつっこんでいるうちに読み終えた。最後にはイラッとするの込みで堀江敏幸を読むという行為を実はめっちゃ楽しんでいるんじゃないかという気がしてきた。だって本当にイヤだったらさ新刊が出ても読まないと思うの。