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ヨムヨムエブリデイ

会っていた

荒川洋治『忘れられる過去』に「会っていた」というエッセイが収録されている。大学1年の最初の英語の授業のテキストがスタインベック『チャーリーとの旅』で、35年後、古書店でその本と再会する。そして50歳を過ぎてから『ハツカネズミと人間』を読み感動し、その最中、あ、チャーリーを連れて旅をしていた人だと遠くのほうで思っていた、というエピソードを紹介し、次のように記している。

 一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分のなかに何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。(中略)最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。読書とはいつも、そういうものである。 朝日文庫版(p.17)

初めて読んだ山崎佳代子の本は、翻訳のダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』で、2年前に文庫化されるずっと前、東京創元社の海外文学セレクションでだった。それで自分にとって山崎さんはずっとダニロ・キシュの人、だったのだけれど、『そこから青い闇がささやき』を読んでいると、あとがきに<今は天国にすむ須賀敦子さん、本になるのが遅れてごめんなさい>とあり、あ、と思った。
須賀敦子の『本に読まれて』に山崎佳代子の詩集『鳥のために』の書評が収められている。<山崎さんは、石のようにしっかりした、また、その石をあたためる太陽のように温かい言葉で表現する>と評している。さらに『須賀敦子全集 第8巻』の年譜には、ユーゴから帰国した山崎が、イタリアで拾った小石を須賀に贈り、それは病室の枕元に置かれ、須賀の死後、山崎はこの小石の記憶を織り込んだ追悼詩を発表とあり、さらにこの追悼詩「夢通り七番地」が入っている『追悼特集須賀敦子―霧のむこうに』(KAWADE夢ムック)を開くことになる。「ふれて」いたのだ。最初に「ふれた」ときは何も思わなかったのに、そこだけスポットライトに照らされたみたいに、ワーッと立ち上がってくる。須賀敦子と山崎佳代子の石を介したつながりに胸を打たれる。なんかもう「会っていた」感にビリビリ痺れまくった夜だった。本を読むのって楽しい。
<石のようにしっかりした、また、その石をあたためる太陽のように温かい言葉>というのは須賀敦子の文章にも通じるなと思う。