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ヨムヨムエブリデイ

関西からの便り


一週間前に不忍の一箱古本市をうろうろしていたのが、すっごく昔のことのような気がする。連休の甘い記憶はそのあとの労働のしんどさに上書きされて、もう思い出せない。昨日ヨレヨレの仕事帰りに、楽しみにしていた『ぽかん』5号を買った。
今日は家から一歩も出ない日。朝読んだ「折々のことば」が長田弘を取り上げていて、午後に訃報が入り、なんて偶然と思ったが、3日に亡くなっていたとのことなので、そういう段取りだったのかな。「見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ」(長田弘
『ぽかん』をゆっくり読む。『ぽかん』は、なんていったらいいか、自分には少しお高級すぎるのだけれど、ちょっとくらい、無理しないと変わっていかないしね。ブログを愛読しているqfwfqさんとか、恵文社にお勤めのずっと女性かと思っていた(保田)さんも執筆されている。(保田)さんは、自社のサイトで「ぽかんに書かせていただきました」的なアナウンスを(今のところ)全くしていないので、含羞の人なのかもしれない。
真治さんの編集だよりに「そんなことのすべてが読書だとおもう」という言葉が引用されていたが、あ、これ「図書新聞」に北村知之さんが書いていた文章だ、と思い当たった。「書店員、オススメの一冊」のコーナーの『辻征夫詩集』を紹介する回で、北村さんが、自分の本棚の本を眺めながら、仕事で暮らしていた名古屋のことや旅先の金沢を思い出したりするくだりがあり、そのあとに「そんなことのすべてが読書だとおもう」と続いてゆくのだが、真治さんもまた自分の本棚を眺め、一冊一冊にまつわる思い出を綴ってゆく。これは真治さんの北村さんへの目配せ、というかアンサーソングみたいなものかなと思った。
PR誌『波』の「やりなおし世界文学」に取り上げられていたトーマス・マン『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』(新潮文庫)を無性に読みたくなって読む。津村さんツボをついてくるなぁ。平野甲賀デザインのカバーが、全然平野甲賀っぽくない。ようやく夏仕様にした布団があまりにも気持ちよくて、一日中、シーツの上に漂っていた。母の日にマスオさんのお母さん(関西人だった)を初めて見た。