ワイドショー的興味で毎年ノーベル文学賞の発表を楽しみにしているのだが、金色の縁のある白い扉を開けて現れた人が受賞者の発表を始めても、え、今なんつった?誰?誰なの?となるのが例年のことだった。今年はサウスコリアオーサー、ハンカーンというのが聞き取れて、翻訳された著書を何冊も読んで親しんできたから、やったーと喜んだ。芥川賞よりもなぜか親近感がわいた。
今年の春に『別れを告げない』(斎藤真理子訳)が刊行されたあと、いろんな媒体でとにかく絶賛されていて、しかもこういうのをいかにも好みそうな人たちが揃ってきちんと褒め称えていたので、かえって冷めてしまい、まあいつかは読むかもしれないけれど、今でなくてもいいかと先のばしにしていた。8月にたまたま青山ブックセンターの「330人が、この夏おすすめする一冊。」フェアを覗いたら、末井昭さんが『別れを告げない』を選んでいた。何かを読むきっかけは予想もつかないところからやってきて、どういう作用でそうなるのか自分にもわからないのだけれど、『別れを告げない』をようやく手に取ったきっかけは、スウェイさんだった。
夏の真ん中の一番暑い時期に読み始めると、主人公の小説家もソウルの夏の暑さに苦しんでいた。と思ったらすぐ冬になり雪が降る。読後は、痛みと寒さが身体にずっと残っていた。めちゃんこ痛い。「四・三事件」を初めて知った。
斎藤真理子『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』を読んだ。マル(言葉)、クル(文、文字)、ソリ(声)、詩についてなどとても興味深く読む。
「人間には、マルにもクルにも託せないものがあって、ハン・ガンはそのことを知っているからこそ小説を書いているのだと思う。マルとクルの奥にひそんでいるものがたくさんあるからだ。(p.66)」