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ヨムヨムエブリデイ

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毎日バタバタしていて気づけば、イルミネーションとクリスマスのシーズンになっていた。相変わらず、何十年も昔の学歴自慢や女にもてた自慢、武勇伝を繰り返すおじさんには、さしすせその法則(「さ=さすが」「し=知らなかった」「す=すごい」「せ=センスいいですね」「そ=そうなんですか」)で対処している。マスクの下は無表情で。

竹西寛子『伽羅を焚く』(青土社)を読んだ。これは、堀江敏幸による新聞書評で知った本。〈月刊詩誌『ユリイカ』で「耳目抄」と題された竹西寛子の随想の連載がはじまったのは、一九七九年一月号。本書は第三〇一回(二〇一一年七月号)から第三三八回(二〇一六年八月号)までを収めるシリーズ十一冊目にあたる〉とあり、この本がシリーズ最後になるそうだ。ユリイカは、興味のある特集のときだけたまーに読むくらいで、その際この竹西寛子の随想を目にしていたのだが、こんなにご長寿連載(40年以上)だとは知らなかった。スルスル読める感じではないが、シリーズ遡って読んでみたい。こういうとき図書館ってありがたいなと思う。

先日読んだ金原瑞人の『翻訳はめぐる』が面白かったので、他のエッセイも読みたくなって、『サリンジャーに、マティーニを教わった』『翻訳のさじかげん』『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』を読んだ。なかでも『翻訳のさじかげん』が身辺雑記などバラエティに富んでいて面白かった。

古谷田奈月『フィールダー』を読んで、うおおお!と興奮したのでその勢いで、刊行当時超話題になったのに読みそびれていた『リリース』を読んだ。

今は山本文緒が病床で読んで、〈死ぬことを忘れるほど面白い〉とか〈未来はなくとも本も漫画も面白い〉と書いていた本を読みたい。次に読む本は向こうからやってくる。いや、自分から行ってるのだけれども。