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ヨムヨムエブリデイ

ぼくが歌集を読んでいる場所

月曜日。モトーラ世理奈のような眠そうな目をして、いつものねじ式の人のポーズで朝礼に出る。

タイトルに惹かれて歌集『水上バス浅草行き』を鞄に入れ持ち歩いている。歌集や句集は、たまーに読むのだけれど、いまだにちゃんと読めている気がしない。短歌や俳句それぞれに解説的なエッセイが付いているものや、身辺雑記的エッセイの最後に短歌や俳句を添えているものなどは楽しく読めるのに(結局エッセイが好きなのだ)、歌や句だけが並ぶ歌集や句集は、何だか構えてしまう。お小遣いを手に書店の文庫本コーナーの前で長い時間をかけて一冊選んでいくのが楽しみだった子供のころ、同じ値段だったら、小さい文字がぎっしり詰まった、一文字あたりの単価が安い本のほうが長く楽しめてお得感があって嬉しかった。その感覚がまだどこかに残っていて、余白だらけの歌集や句集を見ると「余白がこんなに!字がデカッ!」と不安になるのかもしれない。文字の貧乏性。

以前、春日武彦が、風邪で寝込んだときには句集を読むのがいいと何かに書いていたので、ワクチンの副反応で発熱した際に読んでみたところ、「具合悪くて寝込んでわざわざ句集を読んでいる人」を必死で演じているような気がした。
dancyu10月号の「のむよむ。」にくどうれいんが「歌集は夜に椅子の背もたれに深くからだを預けながら読むのがいい」と書いていた。これはいいかも。夜だね、夜。どうにかして、余白を克服したい。