会っていた

グッモー、日曜日。晴れ。昼頃友人と待ち合わせ。パン屋で好物の明太子フランスやカレーパン、それからコーヒーを買い、公園の池のほとりのベンチに腰かけて食べながら近況報告。食べる時だけマスクを顎に下げる。陽射しが春らしい。

深沢潮『乳房のくにで』(双葉社)を読んだ。前に、斎藤真理子さんが、『乳房のくにで』と松田青子『持続可能な魂の利用』を、ちょっ、セットで読めよ!みたいなことを書いていたので、読んでみた。面白かった。この人他にどんなの書いてるんだろうと著者紹介欄を見ると『あいまい生活』というタイトルがあり、わわわっ、これ何年か前に読んだことあるわーと思った。シェアハウスの話だった。またもや、荒川洋治の言う「会っていた」現象(『忘れられる過去』より)だ。初めての時は、サラッと通り過ぎて、2度目に会った時に、あの時のあの人だ!とガッシャーンと頭の中の回路がつながる。日々、本を読んでいると、たまにこの「会っていた」現象に遭遇するが、何だかとてもいい気分だ。一度回路がつながれば定着する。深沢潮は、「女による女のためのR-18文学賞」出身で、この賞受賞者の活躍率すごいな。受賞作収録の『ハンサラン 愛する人びと』も読もう。

他にエッセイ集、石川直樹『地上に星座をつくる』(新潮社)、沢野ひとし『ジジイの片づけ』(集英社クリエイティブ)、川上弘美『わたしの好きな季語』(NHK出版)を読んだ。何号か前の「暮しの手帖」に金井美恵子が嫌いな言葉を列挙していた。「私自身」「とある○○」「実は」の3つだったが、その後くらいに「日経新聞」に掲載されたエッセイに川上弘美が エッセイ集の原稿を推敲していて「実は」という言葉の登場頻度がいやに高くて忸怩たる思いと書いていたので、あ、川上弘美、もしかして「暮しの手帖」を読んだのかなと思った。
誰かが、嫌いな言葉、許せない言葉とか書いていると、つい自分のを点検して、うわっ、やべーぞと反省するが、すぐ忘れる。人それぞれだしね。