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ヨムヨムエブリデイ

夏休み

今回のウイルス騒動でよかったことは(よかったという言い方は不適切かもしれないが)、職場の飲み会の類がなくなったこと。あと、いつも上司から「君は仕事の時いつも閉じた質問ばかりする」と注意されていたのが、マスクのおかげでもあるのか、開いた質問もできるようになったこと。顔の表面が閉じたことにより、質問が開いてくる不思議。さらに、習慣化されていた盆の帰省を、帰りたいんだけどめっちゃ残念……というポーズを一応見せつつ帰らなくてもいいところ。

そんなわけで16日まで4日間の夏休みを思う存分のーんびり過ごしている。
梯久美子『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』を読み終え、久しぶりのポケミス、リズ・ムーア『果てしなき輝きの果てに』を半分ほど読んだところで、ちょっと一息と、庄野潤三『庭の山の木』(講談社文芸文庫)をパラパラする。

 私の仕事部屋の片隅にボロボロのソファーベッドがあって、遅めの昼食をとり終えた午後や仕事に少し疲れた夕方、そのソファーベッドの上でゴロゴロしながら文庫本に目を通し、三、四十分もすれば、ついウトウトというのが目下の私の最大の楽しみであるが、その楽しみを満たしてくれる文庫本、特に新刊の、というのが、ありそうで、これがなかなか難しい。
 一番いいのは作家のエッセイ集である。エッセイストやコラムニストと違って、小説が本業の作家は、エッセイが一冊分たまるまで時間がかかるけれど、そうやって時間をかけて出来上がると、しかもそれがまた時間を経て文庫本になると、とても贅沢な一冊となる。その贅沢を寝っころがりながら拾い読みする喜び。/坪内祐三「ことしソファーベッドで一番熱心に読んだ本」リテレール97年別冊より

ものすごい時間をかけて文庫になった『庭の山の木』(講談社文芸文庫)をゴロゴロウトウトしながら読んでいると坪内祐三のこれが思い浮かんだ。本好きの人が本を読む楽しさについて書いた文章は何でも好きだ。

『庭の山の木』は「群像」9月号の私の文芸文庫に江國香織が選んだ一冊。この「私の文芸文庫」の連載が始まった当時、いくら探してもどこにも載ってないよ!と思っていたら、表紙の裏だった。9月号では、吉田知子による笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』の書評(書評というか、ただの交友自慢?)が面白かった。