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ヨムヨムエブリデイ

「~ほか」

なにかやっと、10月らしいスカッとした秋晴れ。昼休みATMに行ったついでにコンビニでコーヒーを買い、しばらくベンチでぼーっと過ごす。いい季節だなとしみじみしていたが、週末は台風が直撃っぽい。

文章読本のたぐいを読んでいると「漢字を適度にひらがなに開いて読みやすくする」なんてことが書かれているのだけれども、自分は、やたらひらがなを多用した文章が昔から苦手で、苦手な肉の脂身が物理的に喉を通っていかないのと同じで、こればっかりは自分ではどうしようもない。著者のルールにより、漢字、ひらがな、カタカナが巧みに使い分けられていながらも、読んでいる最中にそれを全く意識させないような文章が好きだ。というようなことを町屋良平『愛が嫌い』を読みながら考えていた。

  • みえているものをみえているということも、じぶんではよくわからない。(p.7)
  • ふだんかんたんに記憶をおもいだせるつもりでいたけれど、だれかになにかをいわれて、そのことばにつられてむりやりおもいだしているだけだ。(p.58)

ああ、こ、これは無理かも、と何度も本を閉じそうになる。思考の4割ぐらいが「ひらがな!」に占められ、残った6割で読み続け読み終えた。結局読んでしまったじゃないか。無理なものはどうしても無理だから、読み続けられたってことは、イラッとするのを含めて町屋良平の小説を読むという行為を楽しんでいたのかもしれない。ふにゃふにゃして妙にイラッとさせられる主人公のキャラクターに合っている気もしてきて、すべて計算済なのだろう。
前にジュンク堂かどこかで貰ってきた町屋良平の選書フェア目録がよくて、「作家の読書道」も面白かった。偏愛本の書評集とか読んでみたいが読書記録とかつけているのかと訊かれ、「感想は記していないです。昔は書いていたんですけれど、読み返すとすごく、調子に乗ってるなって思って」と答えるところなんかいいなと思った。

文學界」11月号のエイミーよいしょ祭りを読む。「十九人の心に響いた恋愛にまつわる一節」に町屋良平も参加しているのだけど、表紙に列記された名前のなかには入っていなくて「~ほか」扱いなので、こういう序列では下っ端のほうだとわかる。「~ほか」、皮が破れるほうの餃子を連想してしまう。