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ヨムヨムエブリデイ

語学の天才まで1億光年

四月も二週目に入り、新年度のドタバタが少し落ち着いてきて、今月はじめての平日休み。アラームをかけずにゆっくり起きてゆっくり朝食。今日は一日だらだらできる。時間に追われず、人に振り回されない生活はなんて楽ちんなんだ。晴れているが、黄砂のため洗濯物を干せず。
韓国ドラマの『怪物』をなんとなく見始めたらやめられなくなり一気に5話まで見てしまう。残りは我慢して明日からの楽しみに取っておこう。韓国映画やドラマにハマってから、ハングルを学びたくなり、毎年四月にNHKラジオ講座を始めるのだがいつも夏まで続かない。今年こそはがんばろう(と今は思っている)。韓国ドラマにハマったのは坂本龍一の「GQ」の連載がきっかけだった。『秘密の森』『ミスティ』『マイ・ディア・ミスター』『愛の不時着』がよかったと言っていたので、それらをやはりなんとなく見始めたところズブズブとハマってしまった。どこに入口があるかわからないものだ。PR誌「ちくま」に掲載されている、角田光代さんが韓国ドラマについて書いたエッセイも興味深い。ラジオ講座の今月号のテキストの表紙に「“字幕なしで韓ドラ”にチャレンジしよう!」とあるが、そうなれたらいいな。
高野秀行『語学の天才まで1億光年』によると、海外でパスポートやお金を盗まれるなどのトラブルに見舞われた際、日本に帰るために必死にその国の言葉を学ぶので上達するそうだ。切羽詰まったり必要があればそうせざるを得ないだろう。トラブルを恐れずにどんどん飛び込んで行き、体当たりで言語を取得していくのがすごい。あと言語の「ノリ」も重要だということ。

午後、カレーを煮込む間に、黒田龍之助『外国語の遊園地』(白水社)を読む。新聞や雑誌に載った短いエッセイが詰まった本で、晴れた休日の午後にカレーの匂いに包まれて読むのにうってつけの本だった。

新年度

で、あなたは読んだの?

桜が散り始め、職場の人が入れ替わり、新年度が始まった。重いコートを脱ぐと、文庫本を入れるポケットがなくなるので、いつも春はそれが名残惜しい。石川淳の『狂風記』下巻に巻かれた帯に、大江健三郎の文章が載っている。

 戦後乱世の風がなお吹きあれた時分、ハイティーンの僕を支えたのは、ドスのようにポケットにおさめた、石川淳の小説であった。そこに描かれた、えたいのしれぬ生命力のかたまり、しかも美しい娘と若者の肖像は、燃えるような励ましを、ポケットの主につたえたのだ。(後略)

ドスかあ。でも、無造作にポケットに手をつっこんだとき、文庫本が手に触れるとポケットの主は妙に安心するものだ。今、春物の薄手のステンカラーコートのポケットに無理やり(冬物みたいにスッポリ入らない)ねじ込んでいるのは、長岡弘樹『教場0』(小学館文庫)。読んでいるとドス的な凶器が出てきた。


先日、歯医者に行った際、急患がいるので予約時間を少し過ぎるがよいか?と訊かれた。その後の予定は特になく「ぜんぜんオッケーで~す」と応じると、治療後の会計時、迷惑をかけたお詫びにと歯ブラシと数種類の歯磨きペーストをいただいた。20分ぐらい待っていただけなのにラッキー。その中のひとつ「カムテクト」というペーストを使い始めたところ、あまりの不味さに、口に入れたとたんにオエーッと吐き出してしまった。これ、評判はどうなんだろうと思い、口コミを見てみる。やはりほとんどの人が不味いと言っていて、でも使い続けているとクセになり、リピーターになったという人が意外に多い。ホントかよ。でも捨てるのも忍びなく、試しにオエオエしながら使い続けてみると、3日ぐらいで慣れた。あの、オエーッはどこに行ってしまったのか。むしろ爽快な刺激が心地いいほど。こんなに短期間に鈍感になる力を発揮する自分の体に驚く。

灰色の夕暮れ

本年度最後の怒涛の有休消化週間で午後半休。忙しくてなかなか異動者の送別会ができないのでと配布された、かなり上等の幕の内弁当を持って退勤。どこか桜の公園で食べようかと思っていたが、あいにく雨がぱらついている。とりあえずマックのフィレオフィッシュセットで空腹を満たし、弁当は持ち帰り、夜食べることにする。
雲がどんよりと重く垂れ込め、くすんだ桜の花が空にとけて、町全体が灰色に沈んでいる。こんな桜もいいもんだ。以前読んだ「銀座百点」編集部編『私の銀座』(新潮文庫)に収められていた大江健三郎「サーバーの犬とぼくの知っていた犬」に、気分がふさいで何もかもが灰色に見える夕暮れにサーバーを読みたくなるとあった。大江健三郎がサーバーを読みたくなるのは、こんな灰色の日だったのかもしれない。これは1963年に「銀座百点」に掲載された。おそらく20代後半に書かれたもので、文章が瑞々しくて大好きだ。この時代に書かれた身辺雑記風のゆるめのエッセイをもっと読んでみたいと思って図書館で探してみたけれど、見つけられなかった。

ひざびさに大きな書店を回遊し満喫。辻山良雄さんによる市場の古本屋ウララの宇田智子さんのインタビューが載った「熱風」や他に小冊子などをいただく。帰りに図書館にも寄ると70代ぐらいの男性が、こんなに静かなのになぜマスクをしているのかと、語気荒くカウンターの若い女性にしつこく絡んでいる。はあ。最近よく見る光景。
帰ってまだ明るいうちに風呂でくつろぎ、豪華幕の内弁当を食べる。食後に八朔を剥く。長島有里枝『テント日記/「縫うこと、切ること、語ること。」日記』(白水社)、高原英理『詩歌探偵フラヌール』(河出書房新社)を読む。滝口悠生『ラーメンカレー』途中まで。すんごくいい。

自分を消す

4月からの人事異動や、改正の準備などで慌ただしい毎日。半分以上残っている有給休暇が消えてしまわないように、半日でも取れそうなところにガンガン入れているところで、今日は午後半休をもらう。午前の仕事を終え、WBCの優勝で湧いている休憩室を後にする。WBCでいちばん印象に残っているのは、相手チームの選手は髭が濃ゆい!だった。ああ、腹がへった。井之頭ゴローさんのように小走りで店を探し、ナポリタンとサラダとコーヒーのランチセット900円で満腹。ナポリタンうま。ランチのピークを過ぎた店で、コーヒーを啜りながらしばし読書する。八木詠美『空芯手帳』(ちくま文庫)。解説は松田青子さんだ。理不尽な雑用、セクハラ、「女」だから演じるろくでもない役回りだらけの職場にキレて偽装妊娠する「私」。
ある日、職場にゼリーの差し入れが届き、「私」は箱を開けて気づく。

部署の全員に配るにはゼリーの個数が三つ足りない。私は頭の中で、まず自分を消した。あと東中野さんも。あとは今外出中の人がいないか考える。考えながら疑問に思う。どうして私は最初に自分を除外したんだろう。

わかるー。まず自分を消すよねー。ザ・自己犠牲。わかりすぎて切ない。


もう一冊、並行して読んでいるのは、北方謙三『完全版 十字路が見える Ⅰ 東風に誘われ』(岩波書店)。週刊新潮に8年間連載されたものが、全四巻の「完全版」として書籍化。岩波書店の特設サイトに編集者Nさんの熱いコメントが載っている。この連載については、
yomunel.hatenadiary.com
にも書いているが、「完全版」も読んでみるかと、まず一巻目から。でも、うーんという感じ。

僕の好きな文庫本(23)

堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮文庫

立体・三谷龍二 写真・広瀬達郎 解説・鷲田清一

今年のみすず読書アンケート号の巻末に載っていた新刊告知を見て、これは読まねばとそそられた、シルヴァン・テッソン『シベリアの森のなかで』(みすず書房)を読んでいる。著者がバイカル湖畔の森の小屋でひとり暮らした半年間にわたる隠遁の日々を綴った日記。昨年は似た設定のパオロ・コニェッティ『フォンターネ 山小屋の生活』(新潮クレスト)を楽しんだ。自分に隠遁願望があるのでこういう話は大好物だ。
昔から灯台、もしくは河川の水門の上にある四角い小屋(岩淵の青水門が理想)に住みたいと思っている。本を読み、音楽を聴き、目をあげると海や川が見えるなんて最高ではないか、というようなことを人に話しても同意を得たことはないけれども。

『河岸忘日抄』は、異国の河岸に繋留された船にひとりで住むことになった「彼」の日々の生活と思索。以前は熱心な読者だった堀江敏幸の著作でいちばん好きな一冊だ。時々手に取りぱらぱら読み返していると穏やかな気持ちになる。クロフツの『樽』、ブッツァーティチェーホフ、古いレコード、クレープ、オムレツ、珈琲、郵便配達夫。そしてページを埋めるのは精興社書体。「彼」の生活は、今の世の中の強さや速さとはかけ離れている。「稀有の強さは、ひたむきな弱さの持続によって維持され、最後の最後に実をむすぶのだ(p.35)」。ためらいつづけることの、何という贅沢。