y o m u : n e l

ヨムヨムエブリデイ

カニキュル

朝、玄関のドアを開けると、セミがあおむけでゴロンと転がっていた。稲垣栄洋の『生き物の死にざま』に、セミは必ず上を向いて死ぬと書いてあった。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がるので、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ、と。それにしても、何かのいやがらせのように、わざわざうちの真ん前に転がらなくてもよさそうなものなのに。隣じゃだめですか。まだ生きていてもぞもぞ動かしている手足に靴を近づけると、つま先に予想以上の力でしがみついてきたのでそのままうつ伏せにしてあげて、どこへでも飛んでお行きなさいと言ってから出勤する。

日陰を伝って歩く。駅に着くと汗が噴き出す。アイスコーヒー。1日に梅雨が明けてからまだ1週間もたっていないというのに、すでに夏歴1ヶ月のような気がしている。梅雨寒~と言ってた頃が遠い昔のよう。

文庫化されていた篠田節子の『竜と流木』を読み、もっと篠田節子を!となり、続けて『鏡の背面』を(『ブラックボックス』ぐらいまではなんとか追いかけていたのだけれど)。エンタメってもうどんどん読める。今週は小休止でエッセイ集の週だった。金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』、小倉千加子『草むらにハイヒール 内から外への欲求』、小林信彦『また、本音を申せば』。

金原ひとみのエッセイは、なんかいろいろ濃密すぎてクラクラした。海外のスタバで名前を聞かれた際、『アメリカ紀行』の千葉雅也は名前のスペルを説明するのがめんどうになりDavidと名乗り、『道行きや』の伊藤比呂美は、ある英語名を使っているとあった。めんどくさがって一番適当に答えそうな金原ひとみが「ヒトミ」、アッシュイ、テオ、エムイと、いつまでたってもスペルを覚えてくれない店員に根気強く説明するのを読み、この人はまっすぐな人なのだろうなと思った。『蛇にピアス』以来遠ざかっていた小説を読んでみたくなる。

今日は簡単に麻婆豆腐丼にするぞと帰宅すると、朝せっかくうつ伏せにしてあげたセミが、もう本当にいやがらせとしか思えないが再びひっくり返り、ドアの前でとうとうお逝きになっていた。

なかなか明けない梅雨の夕暮れ

感染者数が増えようと減ろうと、毎朝出勤して夜帰るの繰り返し。この数ヶ月の間に、電車が混んだり空いたり、店が開いたり閉まったり、人との距離が伸びたり縮んだりした。

帰りは雨がパラパラしている。雨と湿気と仕事の疲れがブレンドされた何とも言えない気分を記そうと試みるも、乗代雄介『最高の任務』への山田詠美芥川賞選評、

<眉間にたまった涙感を息へ逃したら声が震えた>、<滲んだ涙を暮れの空に吸わせる>、<声帯が素敵にりぼん結びされている>……えーっと、これ、文学的な表現ってやつ? いちいち自意識過剰。

を思い出し、やめる。乗代雄介のようにうまくはいかなくても、こんな憂鬱な梅雨の夕暮れには、こういう系のことってつい言いたくなってしまう。その乗代雄介の分厚い『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』(国書刊行会)を書店で見かけたが、3,630円という値段に躊躇する。同名のブログは以前から愛読していて、柴崎友香の『フルタイムライフ』の感想なんか特に印象に残っている。目次をめくると、後半に収録されている「ワインディング・ノート」から読みたいと思うが、なにしろどんな本も頭から順番に読んでいかないと気が済まない変に几帳面な性質なので、買うのをためらっている。

分厚い本といえば、磯崎憲一郎『金太郎飴』(河出書房新社)もで(やはり3,630円)、これは「文芸時評」から読みたい気持ちを抑えて、なんとか頭から順番に読み進めている。

読み終えたのは、最果タヒ『コンプレックス・プリズム』(大和書房)。最果タヒのエッセイ集を手にすると、いつも「めっちゃ薄っ!」と思うのだが、色々考え込みながら読むので、読後には「薄っ!」という感覚はどこかに行ってしまっている。

青空

久しぶりに青空がのぞき、洗濯物を外に干す。
今週は誕生日があり賞与もでた。本を買い、鰻重とケーキを食べたら満ち足りて、これ以上のいいことはないわーと思った。

今回の芥川賞直木賞も津田淳子さんが本文用紙銘柄から受賞作を予想していた。本文用紙の銘柄を明記してくれるのが毎回楽しみ。直木賞のほうは、
『雲を紡ぐ』→オペラクリームHO(日本製紙
『じんかん』→ソリスト(N)(中越パルプ工業
能楽ものがたり 稚児桜』→OKプリンセス(王子製紙
『銀花の蔵』→アルトクリームマックス(日本製紙
『少年と犬』→嵩高書籍用紙55A(三菱製紙
芥川賞のほうは、単行本になっているものが『赤い砂を蹴る』→ソリスト(N)(中越パルプ工業)、『破局』→オペラホワイトマックス(日本製紙)の2冊

これが嵩高書籍用紙55Aなのか!へー、これがOKプリンセス!と確認しながら本屋を回遊するのが楽しくてたまらない。柴崎友香が小説の登場人物に「興味のあるものって、区別がつくようになってくるでしょう」と言わせているのだけど、まあ考えてみればあたりまえのことなのだが、名言だと思っている。興味がないときには、ただの紙だったのに、いっちょまえにソリスト!とか言ってる。やたら人数の多いアイドルグループなども、興味を持つと何十人も区別がつくようになるのだから不思議だ。反対に、昔バリバリ区別がついていたものが、興味をなくしたとたんに再び区別がつかなくなることも多い。

今村夏子『木になった亜沙』を読んだ。職場でよくチョコレートやクッキーなどのおやつをもらうのだが、たまにはお返しをと思って渡したお菓子が食べられずにいつまでも机の上に放置されているのを見るときのやるせなさを思い出し、苦しかった。

ポケットには文庫本を。

f:id:yomunel:20200709200047j:plain

仕事終わりに、今日は感染者数がめっちゃ増えたらしいですよ教えられる。あまりふらふらしないほうがいいのかなと気になりつつ、食材を買うついでに書店をささっと覗く。

 POPEYE8月号がSUMMER READING特集(なんとクロワッサンまで本特集)で、やれやれまたいつものやつーと思うのだけれども、こういうのを、風呂上りに炭酸飲みながらなーんにも考えずにペラペラ繰るのは嫌いではない、というかかなり楽しんでいる。私も文庫本をヒップポケットに突っ込んで軽やかに歩きたいと思って突っ込んでみたものの(右)、もうぎゅうぎゅうですわ。無造作感は皆無で、わざとらしさしかない。まあ、何をやってもわざとらしさしかないのだが。

ステイホームと言われていた頃、こんなときこそ本を読もう!などとやたら話題になっていたが、ステイホームだろうと夏だろうと、本なんか、読みたい人が読めばいいし、読みたくないのに無理に読まなくてもいいのではと思う。自分は、楽しいから読んでるだけ。

井上荒野の『よその島』が面白かったので、もうひとつ前の『あたしたち、海へ』を読んだらそれも面白かった。エンタメ系ってなんかどんどん読めてしまう。寺地はるなとか遠田潤子とか田中兆子とか少しずつ順番に読んでいる。

夜の電話

日曜日。梅雨らしい空模様が続いている。
勤務先は24時間対応ダイヤルというのが義務付けられていて、夜間対応の携帯電話を輪番制で担当することになっている。電話手当が付くので、まあ仕事のうちだ、しょうがない。全く電話が鳴らない運のいい夜もあるが、だいたい2~3件といったところ。しかしたまーに電話魔のような同じ人から何度もかかることがあり、昨夜がその日だった。そういう人は内容のないことをダラダラしゃべりまくり、寂しくて不安でとにかく誰かとしゃべりたいんだなと思われる。こちらは仕事に関することなら責任をもって応対するけれど、それ以外のことに適当に答えてあとで問題になるのもアレなので、聞き役に徹する。それで相手の気が済むのなら。

腹をくくり、ミルクティとおやつを用意してずっと起きておくことにする。明日が日曜でよかった。電話の合間に安部公房『けものたちは故郷をめざす』(岩波文庫)の続き。読み始めは状況設定がよくわからずなかなか入り込めなかったが途中からひき込まれ、夜が明ける頃に読み終える。寒い!空腹!痛い!えーそんなぁ~。この岩波文庫版は814円(税込)だが、新潮文庫版は605円(税込)で入手できる。リービ英雄の解説付きというのもあるけど、「岩波文庫安部公房を読む」というスペシャル感に200円を余分に払うという感じ。岩波文庫大江健三郎を読むとか開高健を読むとかやはりスペシャル感があるものね。佐藤正午もちょっとズルしたくもなると思う。

朝がきて、電話を転送し電源を切ってからゆっくり眠った。午後目が覚めて、入浴、夕ごはん。テレビでは九州の豪雨のニュース。選挙速報が始まったと同時に当選確実の速報。
「……ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな……いくら行っても、一歩も荒野から抜けだせない……」(p.296)