y o m u : n e l

ヨムヨムエブリデイ

次の本

コロナウィルス、というかコロナにまつわる諸々、特に子供の休校による勤務シフト崩壊が響く。退勤時は、20歳老けてる。

一冊の本を読み終えて、さて次は何を読もうかなーというときが小確幸である。前の本が終って名残惜しく、しばらくパラパラいいところを読み返したり、余韻にひたったりして気が済んだら、次の本に移る。すごく楽しみに取っていて、満を持して!という感じで手にする本もあれば、古本屋の均一で見つけて、そういえばこれ探してたんだよなと買ってそのままずるずる読み始めることもある。そのときの気分にも影響される。自分なりの読みたい本の序列は一応決まっているのだが、行き当たりばったりの読書のほうが多くて、その意外性がまた楽しい。
北村薫の『本と幸せ』に、

「好き」という物差しに、人の価値など関係ない。何十万円かけた料理より、青空の下の握り飯ひとつの方がうまいことは、いくらでもある。いつ食べたか―読んだかが、大きい。(p.109)

とあり、ほんとそれですよ、と思う。時々読んでいる本に気が乗らず、ああまだこんなに頁が残っているのかと、残り頁の厚さををいちいち確かめてため息をつきながら惰性で(でも途中でやめることができない貧乏性)読む本がある。そんなときは、あらかじめ次の本をスタンバイしておく。気持ちはすでに次の本に移っていて、目次を見たり、最初の方を少し読んだりして、二股をかける人の気持ちってこんなんなのかな。これが好きな本だと、ええっ、もうこれだけしか残ってないの、お別れしたくない~となるのだけれども。
特殊メイクの早回しフィルムのようなスピードで20歳老けていた本日のおむすび読書は山田詠美『つみびと』。虐待の話でとてもつらく、さらに老けが加速した。

夜の梅

コーヒーと昨夜の残りの桜餅の朝食。コロナウィルス騒動で職場は大混乱。もうほんとに誰にも何にも振り回されず、自分のペースで右のものを左、上のものを下へ動かしたり戻したりするだけの静かな日々を送りたい。休憩や仕事終わりに読みさしの本を開く時間だけを楽しみにしてる。エリック・マコーマックの『雲』読み終える。最後にでてくる「斧」が怖すぎ。ナイフや銃ではない「斧」の怖さ。

帰り、最寄り駅近くの書店で何か軽く読める文庫でもと、長嶋有『俳句は入門できる』(朝日新書)と柴崎友香かわうそ堀怪談見習い』(角川文庫)を買い、PR誌を何種かもらう。かわうそ堀は単行本がでてすぐ読んでいるが、また読みたくなって。文庫本はまた格別。怖い話大好物。3年経つといい具合に忘れている。柴崎友香の文庫は背表紙がだいたいイエロー・オレンジ系に揃えられているのだけれど、角川文庫のピンクは柴崎さん的にはどうなのだろう。一応暖色系なのでOKという感じなのかな。
小説以外では、伊藤亜紗『記憶する体』(春秋社)、稲泉連『宇宙から帰ってきた日本人』(文藝春秋)を読んだ。

昼間、とらやのミニ羊羹詰め合わせの到来物があり、同僚からどれがいいかと訊かれたので、どれでもいいよ残ったのでと答えると、じゃあ私がぴったりのを選んであげます、じゃーん「夜の梅」うふふ~エロい~と渡されたが、何がうふふ~なのだろうか。おいしかったけど。

おしゃべり

病欠した同僚の穴埋めのため先週の休日を返上していたので、今日はその代休。平日の休日は久しぶりで、うれしい。快晴の下、洗濯などして、だらだら過ごす。今週から読み始めたエリック・マコーマックの『雲』(東京創元社)を半分ぐらいまで。続きがすごい気になる。これまで読んだ長編の2作は、ラストが「ええっ、波に消えるて・・・・・・」な感じだったが、今回はどうだろう。

昼は、焼きそば。「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」を見る。これを見るたび、恵美子のおしゃべりはいらんから料理に集中してくれ~!先生の奥さんのこととかどうでもいいわ!今、先生がフライパンに何を入れた?とイライラするのだが、タイトルが「おしゃべりクッキング」だからクッキングよりもおしゃべりメインになるのは仕方がないのだろうか。そういいながら平日休みの日はつい見てしまうのだけど。

午後、買い物へ。日差しが春めいているので油断して外に出ると風が冷たくてびっくり。スーパー、ATM、100円ショップ、本屋などを回る。100円ショップに行くと、まだ頭は108円のままでなかなか切り替わらない。お釣りをずっと待ってたりして恥ずかしい。夕飯はひよこ豆を入れたキーマカレーブロッコリー、菜の花のサラダ。ポンカン。『雲』3分の2まできた。

二月の十八日

f:id:yomunel:20200218221524j:plain:left新型ウィルスのせいですっかり影が薄くなったインフルエンザに罹った同僚2人が病欠。洗濯機の中に放り込まれたような忙しさで、引っかき回されたり、叩かれたり、絞られたりしながら、ひたすら昼休みを待ち望む。ようやく交代で休憩に入る。この時期はどうせゆっくり時間が取れないから、すぐに食べられるものをと、おむすびをふたつ(梅干しとおかか)持参。Nさんにもらったチョコレートと飴。誰もいないガラーンとした休憩室でおむすびを頬張りつつ、誰にも気兼ねなく「真田丸」の旭姫のような仏頂面して本を読む時間にほっと和む。この時間があるからなんとかやれているのかもしれない。

豚まん

快晴。風が冷たく、キーンとする寒さ。午後、関西旅行から戻ってきた友人と待ち合わせ。551の豚まんと焼売をもらう。明日の夕ごはんは焼売で決まり。コートを着て、マフラーに顔を半分埋めながら冬の公園を歩きまわるのが気持ちよかった。かばんの中には加藤典洋『大きな字で書くこと』(岩波書店)という小ぶりの本。待ち時間と帰り道に少しずつ読む。「!」と「ひらめく」よりも「あらーっ」とか、「あらら~」というような形でやってくる覚醒のほうが深いということ。(p.108)

fuzkueというお店には、福利厚生本として、毎月従業員が希望する本を一冊買ってもらえるシステムがあるようで、ブログにアップされる「今月の福利厚生本」のコーナーを楽しみに読ませてもらっているのだが、町田康『浄土』(講談社文庫)や 宮田珠己『いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫)、メルヴィル『白鯨(中)』(岩波文庫)などが紹介されていると、え~文庫本なの?それでいいの~?と思ってしまう。いや全然かまわないし、本人がよければ外野がつべこべいうことではないのだけれど、せっかく買ってくれるのだから、文庫は自分で買い、高い単行本を買ってもらえばいいのにと思う。
もし自分だったら(上限金額が決まっているのかは知らないが)、ウィリアム・ギャディス『JR』8800円とか『クレーの日記』7920円だとか『ナボコフ・コレクション 賜物 父の蝶』6270円とかにするかも。でも、あいつは高けえ本ばかりをリクエストしやがるけしからん奴と思われても困るので、まあ2000円前後の単行本にしとくのが無難かな、というようなことを欲の皮がつっぱった頭でガツガツ考えている。自分がもらうわけではないのにね。そんな損得勘定抜きで、文庫だろうと何だろうと単純に自分の読みたい本をリクエストしている若者たちがスマートだ。何か爽やかな風に吹かれたような心地がする。

Twitter文学賞や日本翻訳大賞がお祭りみたいでたいへん愉快。Twitter文学賞に投票したくてアカウントを作ろうと思いながらもうずるずる10年がすぎてしまった。結局投票できずじまいでした。でも、10年間とても楽しませてもらった。