y o m u : n e l

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ノルマ

平日休み。なにか自分の周囲が、『パラサイト 半地下の家族』を見てない奴は人間じゃねえみたいなムードになっているので、さっさとノルマを果たそうと思った。12時台から始まる回のを見ることにして早めに家を出てモーニングサービスを食べる。コーヒーとボイルドエッグとサラダ。なんの変哲もないメニューなのにモーニングだとなぜかものすごくおいしく感じる。映画が終わったのが15時前。これで、『パラサイト』をまだ見ていない人から、すでに見た人の側に移った。ちょうどランチタイムのピークが過ぎた時間で、映画のことを思い出しながらゆっくりカレーを食べる。その後、書店をぶらつく。大型書店をうろうろするのが一番楽しい。疲れたのでミスドのドーナツとブレンドコーヒーで休憩。ピエール・エルメのドーナツもいつの間にかノルマ化していた。まだ食べていない人から、すでに食べた人の側に移る。コーヒーをおかわりしてしばらく本を読んでから帰った。モーニングサービス、映画、書店、カレー、コーヒー。黄金の休日。
昨日のアトロク、翻訳家たちに素朴な質問をぶつける!(ゲスト:柴田元幸岸本佐知子、斎藤真理子)がとても面白くて聞き入ってしまった。一人称の話とか。

快晴

日曜日。霧が晴れるように一日一日少しずつめまいが治まってくる間、仕事に行くのがしんどかった。待ち焦がれた休日。朝起きると、雲ひとつない冬晴れの空。先週と全く同じ空に見える。でももう世界はぐるんぐるん回っていない。静止した世界はなんて素晴らしいんだろう。コーヒーとトーストを傍らに、センター試験問題の原民喜「翳」を読む。
首から肩にかけてカッチカチに凝っているのでひさびさにスーパー銭湯に行くことにする。せっかく来たからには、すべての種類の風呂に入ってみる。湯の中で思いきり手足を伸ばせる気持ちよさ。体がふにゃふにゃになり、指先がシワシワになる。風呂上がりに飲む冷えた炭酸のうまさよ
体を冷ましながら、滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読む。誰かを好きになったときは、同じ空間にいたら自然と目で追ってしまうとか、占いの結果が自分のの次に気になるとかでわかるのだけど、読むのがもったいないと思ったら、その本のことが好きだということ。『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』は年末に買ったのだが、もったいなくてなかなか読み始められなかった。すぐにも読みたいのだけど、もったいなくて読めない。読み始めたら読み始めたで、終わるのがもったいなくてわざとゆっくり読む。じゃあなんで今読んでいるのかというと、体調が悪かった先週を乗りきったので、もう読んじゃってもいいんじゃない?と思ったから。自分への快復祝いみたいなもの。もったいないわーもったいないわーと言いつつ、残りのページが少なくなっていくのを惜しみつつ読む幸福感、たまらない。いつまでも終わらないでほしい。

めまい

正月休み明けの月曜から土曜までみっちりと働き、ようやく12日13日連休だー!と11日の夜は解放感に浸っていたのだが、12日の朝目が覚めると、世界が激しくぐるんぐるん回っていた。疲れやストレスがたまると耳にきて、めまいがすることはこれまでにも時々あったが、こんなに起き上がれないほどひどいのは十数年ぶり。起きられないなら寝ていればいいじゃないとマリー・アントワネットだったら言うかもしれないが、寝ていてもぐるんぐるん回転しながら奈落の底に引きずり込まれるようななんともいえない不快感があり、立って地獄、寝て地獄、吐き気までして何も食べられない。薬を服用し、一番ラクな体勢で目を閉じて横になっていると、夜には少し治まってくる。

今朝起きたらどうなっているのか不安だったが、目の奥や頭の芯にめまいの名残があるものの、起きて普通に歩けるし、食欲も復活する。よかったー。正月休みのぐうたら暴食ぶりと、労働の一週間のあまりのギャップに体がついていけなかったのだろうか。ミルクたっぷりのカフェオレにチーズトーストをかじりながら、メニエル病だった安岡章太郎がその病について書いている『酒屋へ三里、豆腐屋へ二里』(福武文庫)をひろい読む。そういえば、島田マゾ彦君が『君が異端だった頃』で6度も芥川賞を阻んだ安岡章太郎への恨みを綴っていたなあとか、全くもってどうでもいいようなことが頭に浮かびだしたから、ああもう大丈夫だと思った。

窓から冬晴れの青空が見える。洗濯を済ませ、あとは一応安静にしとく。彩瀬まる『森があふれる』(河出書房新社)、伊藤朱里『きみはだれかのどうでもいい人』(小学館)を読んだ。伊藤朱里は太宰治賞の『名前も呼べない』を読んで以来。

2020円

仕事始め。今年は曜日の関係で正月休みがいつもよりちょっと長かった。長い休み明けがみっちり月曜日から始まるのがつらい。朝礼。ボスからお年玉をもらう。ポチ袋には、2020円。「どう?俺って気が利いた事するだろ?」と言わんばかりのボスのドヤ顔が鼻につくが、なんだかんだいっても大人になってもらうお年玉は嬉しい。皆ニコニコ。順番に今年の抱負を言わされる。自分の抱負、というか希望はいつだって、
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なのだけれども、ねじ式の人のポーズで「まあ、今年もなんとなくぼちぼち適当にもにょもにょ」と言ってお茶を濁す。そのあとはもう昼休みも取れないほど忙しくなり、途中で萩の月(おいしー)をつまんだのみ。やっと長い一日が終わる。お年玉で本でも買って帰ろうかと思うも、書店に寄る気力が残っていなかった。夕飯はお土産にもらったバスセンターのカレー。

年末から年始にかけて、三木卓『平成その日その日 鎌倉日記Ⅲ 2006-2019』(かまくら春秋社)を読んだ。前作の『鎌倉日記Ⅱ』から13年、もう次はでないのかと思っていたら、2冊分合わせた分厚さでどかんと来た。日付がないので正確には日記ではなくエッセイ集だが、日記を読むようにゆるゆると楽しんだ。あと宇佐美まこと『展望塔のラプンツェル』を読んだ。

2019年の10冊

毎年30日に仕事を納めてから帰省の準備をしながら今年読んだ本をあれこれ振り返るのが楽しいです。いろんな人が自分の好み全開で選んでいるリストを眺めるのもとても楽しい。でも、年末のベストのために、というかこれはベストに入るなとか考えながら日々の本を読むのはあまり楽しくないです。


(識者ではない人が選ぶ)2019年の10冊(順不同)

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳、講談社
長嶋有『私に付け足されるもの』(徳間書店
川上未映子『夏物語』(文藝春秋
マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』(田栗美奈子訳、作品社)
チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(斎藤真理子訳、亜紀書房
千葉雅也『アメリカ紀行』(文藝春秋
朝吹真理子『抽斗のなかの海』(中央公論新社
江國香織『彼女たちの場合は』(集英社
田中慎弥『ひよこ太陽』(新潮社)
桜庭一樹『小説という毒を浴びる 桜庭一樹書評集』(集英社


『掃除婦のための手引き書』2019年は記念すべきルシア元年。令和と同じだから覚えやすい。
『私に付け足されるもの』「なにか知っている人は、知らない相手に教える際、必ず『ものすごく知らない』と見積もって会話をする傾向があって、私はそれが苦手だ」(p.58)ホントそれ! これに収録されている「白竜」とルシア・ベルリン「エンジェル・コインランドリー店」は、2019年に読んだコインランドリー小説の2トップ(他は知らんけど)。
『夏物語』『乳と卵』→『夏物語』と続けて読んだ。「→」に小説家ミエコの10年間のキャリアが詰め込まれている。大人になった緑子に会えてよかった。
『戦下の淡き光』読後すぐはそうでもなかったのだが、今年の海外文学何を読んだっけと振り返った時真っ先にこれが浮かんだ。表紙のランタンの淡い光のような余韻がずっと続いていたのかもしれない。
『フィフティ・ピープル』韓国文学これからもどしどし読みたい。斎藤真理子さんていったい何人いるの?
アメリカ紀行』パッと見、堀江敏幸本のようなシックな装丁、その薄さ、やや大きめのフォントサイズ、モノクロの写真、すべてを含めた本の佇まいがよかった。これを読まなかったら『デッドライン』を読まなかったと思う。
『抽斗のなかの海』著者初のエッセイ集。へそのごまの話などがでてくるが「クールな見た目だけど私じつはこーんなにお茶目なんです、てへっ」みたいなありがちないやらしさが全くない。精興社書体がしっくり馴染んでいる。
『彼女たちの場合は』はじめは、親のクレジットカードで旅行とかいい気なもんだと思っていたがだんだん引き込まれていった。表の見返しに真っ白なアメリカの地図が、裏の見返しの同じ地図には二人が旅した場所にしるしと地名が書き加えられている。読後に最後のページをめくって気づいたこの粋な趣向に一番やられた。
『ひよこ太陽』どよーんとした後味が記憶に残っている。語り手の「私」の元カノ(牛乳好き)が、2019年輝く!めんどくさい人大賞(褒めてる)。
『小説という毒を浴びる 桜庭一樹書評集』じつにおいしそうに本を読む人だなあ。名久井直子装丁。名久井さんも何人いるんだ?というくらい読む本の名久井装丁率高し。


■本があるおかげで愉快な一年でした。読むのが楽しくてたまりません。来年は古い本をもっと読みたいな(と毎年言ってる)。今年もありがとうございました。どうか来年がよい年でありますように。