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ヨムヨムエブリデイ

日本晴れ

ここ数日、雲ひとつない気持ちの良い秋晴れが続いている。朝晩冷え込んできたが、季節の歩みが例年より1~2週間遅いように感じる。コスパ最強!秋の着まわしコーデもあまり着まわさないうちにすぐ寒くなるんだろう。コンセプトは「日本晴れ」というサッカー代表のユニフォームがお披露目されていたが、いったい何をどうしたらこんなデザインになるのだろうか。ニュースの街頭インタビューで「めっちゃ、かっこいい!」と言ってる人もいたので、好みは人それぞれということか。いっそラグビーのNZのジャージのように黒一色とかに決めちゃえばいいのに。

読んだ本。島田雅彦『君が異端だった頃』(集英社)色んな実名がバンバンでてくる後半作家デビューしてからが興味深かった。小谷野敦小池昌代『この名作がわからない』(二見書房)お母様との関係は私小説になりますね、と言って、それはたぶん『母子寮前』か『ヌエのいた家』に書いてあると思うとあっさり言われる小池さんの、対談相手の著書をすべて読んだうえで対談に臨むガチガチ派ではないおおらかな感じがよかった。「小谷野さんもすごく純粋できれいな目をしてるでしょ?」とか言うの。この2冊は水戸部功装幀。あと帚木蓬生『閉鎖病棟』どんな話だったっけーと再読。

題字

はー、また月曜日。先週は雨の日が多かったので晴れているだけでまだマシな気分。昨夜、マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』(作品社)を読み終えたばかりなので、ちょっと息抜きをしたくて、ぱらぱら読み返したい文庫本を2冊本棚から抜いてかばんに入れる。

『鳴るは風鈴』は骨折小説の「山つつじ」を読みたくて。蟲文庫効果か。『タイニーストーリーズ』は文學界のエイミー特集で、長嶋有中原昌也というクセの強いボーイズがそろってこれを選んでいたので手に取った。中身すっかり忘れている。
月曜日らしい慌ただしさ。昼休み気晴らしに外に出て、森の贈りものシリーズの切手を買う。戻ると、いつもお菓子をくれる同僚がカントリーマアムをくれる。「チョコがいい?バニラがいい?」「じゃあ、バニラ」おやつとコーヒーと文庫本でやや復活。


ひよこ太陽図書室先週は、田中慎弥『ひよこ太陽』と岸政彦『図書室』を続けて読んだ。どちらも版元は新潮社で、どちらもカバーの題字は著者自身。いい感じ。こういう著者題字は、ぶっつけ本番で無造作にサラッと書いたものを使うのだろうか。それとも何度も何度も書いたものの中から厳選するのだろうか。やたら字がうますぎてもつまらない。『ひよこ太陽』を読んでいる間、どんより暗くて粘り気のある水中を進んでゆくような心地だった(面倒くさい元カノがいい!)のが、『図書室』に移ったとたん、あのまとわりついていた重さがスーッと軽くなるのを感じた。紙の上にある文字をただ読んでいるだけなのにこの体感、愉快。書き下ろしの自伝エッセイ「給水塔」もよかった。岸政彦×精興社だった。「文藝」連載中の柴崎友香との共作エッセイ「大阪」は、本にまとまったらじっくり読みたい。

ますます

f:id:yomunel:20191018002052j:plain:leftいつも言っている気がするけど(何度でも言う)、最近本を読むのがますます楽しくてしかたがないです。何十年も読んでいても全然飽きなくて、こんなに楽しくていいのかなーと心配になるくらい。本というものを何か高尚なもの、知識を得るためのもの、格上のものと考え、他人が読んでいる本を値踏みして「いい本読んでますね」「センスがいいね」と言ったり、反対に小ばかにしたりする人がいるけれど、自分が読みたいものを読みたいように読んで、あー面白かった、あれはいまいちだったで終わったっていいんじゃないかと思う。『続 横道世之介』(「続」というんでゾンビの世之介がでてくるのかと思った)も『レス』も『神前酔狂宴』も面白くて、『わたしのいるところ』は誰か繊細な人のブログでも読んでいるようだった。次は藤野可織『私は幽霊を見ない』。こわおかしい。

雑誌のアンケート特集号といったら真っ先に「みすず」を思い浮かべるが、毎年、読書週間頃に刊行される「新刊ニュース」のアンケート特集もわりと楽しみにしている。今年の11月号は、人気著者111名の「平成から令和へ!これからも読み継いでほしい1冊」。「みすず」と比べると人選がうんとエンタメより。草臥れた仕事帰りに何も考えずこういうのをペラペラ繰る時間がたまらない。

タータンチェック

慌ただしい週末だった。浴槽に水を溜めとけ!ケータイ充電しとけ!食料を確保しとけ!窓に養生テープを貼っとけ!ペーター・ハントケ!に振り回されてバタバタしていたら、台風が凄まじい威力であちこち傷めつけながら通り過ぎていった。しかも台風と地震のダブルパンチ。夏の台風はフェーン現象で不快な暑さを連れてくるが、今回のは西脇順三郎の「秋」のように起きるとすんなり、明朝はもう秋だ、になっていた。Tシャツ一枚では肌寒くて、パーカを羽織る。じんわり沁みる熱いコーヒー。
一日、台風被害のニュース映像を見て沈んでいた気分もラグビーの試合でやや上がり(単純)、買物帰りに見上げた夜空にはピカピカ輝く月。

ラグビーの稲垣選手が試合後のインタビューで「台風で被災した方々にラグビーで元気を取り戻していただきたい、そういう気持ちを持って試合に取り組みました」と答えていたのが印象に残った。こういう場面では必ず「元気(勇気)を与えたい」発言が飛び出し、「元気などというものはそう簡単に与えたりもらったりできるのかボケ!お前は何様だ!」と「元気を与える」警察が笛を吹きながらすっ飛んでくるものだが、この稲垣選手の言い回しには、「元気を与える」警察の勢いも少し鈍るのではないだろうか。言ってる内容は変わらないのだけれども。
あと、日本のバレーボールのユニフォームで[サロンパス]のロゴが貼られている肩のあたりや襟の裏や袖口や胸元にタータンチェックがあしらわれたスコットランドのユニフォームが抜群に洒落ていた。

あっという間に過ぎたようでもあり、ものすごく長かったような気もしたこの連休。あーあ、明日はまたブルーマンデーかぁと思っていたら、火曜日だった。

「~ほか」

なにかやっと、10月らしいスカッとした秋晴れ。昼休みATMに行ったついでにコンビニでコーヒーを買い、しばらくベンチでぼーっと過ごす。いい季節だなとしみじみしていたが、週末は台風が直撃っぽい。

文章読本のたぐいを読んでいると「漢字を適度にひらがなに開いて読みやすくする」なんてことが書かれているのだけれども、自分は、やたらひらがなを多用した文章が昔から苦手で、苦手な肉の脂身が物理的に喉を通っていかないのと同じで、こればっかりは自分ではどうしようもない。著者のルールにより、漢字、ひらがな、カタカナが巧みに使い分けられていながらも、読んでいる最中にそれを全く意識させないような文章が好きだ。というようなことを町屋良平『愛が嫌い』を読みながら考えていた。

  • みえているものをみえているということも、じぶんではよくわからない。(p.7)
  • ふだんかんたんに記憶をおもいだせるつもりでいたけれど、だれかになにかをいわれて、そのことばにつられてむりやりおもいだしているだけだ。(p.58)

ああ、こ、これは無理かも、と何度も本を閉じそうになる。思考の4割ぐらいが「ひらがな!」に占められ、残った6割で読み続け読み終えた。結局読んでしまったじゃないか。無理なものはどうしても無理だから、読み続けられたってことは、イラッとするのを含めて町屋良平の小説を読むという行為を楽しんでいたのかもしれない。ふにゃふにゃして妙にイラッとさせられる主人公のキャラクターに合っている気もしてきて、すべて計算済なのだろう。
前にジュンク堂かどこかで貰ってきた町屋良平の選書フェア目録がよくて、「作家の読書道」も面白かった。偏愛本の書評集とか読んでみたいが読書記録とかつけているのかと訊かれ、「感想は記していないです。昔は書いていたんですけれど、読み返すとすごく、調子に乗ってるなって思って」と答えるところなんかいいなと思った。

文學界」11月号のエイミーよいしょ祭りを読む。「十九人の心に響いた恋愛にまつわる一節」に町屋良平も参加しているのだけど、表紙に列記された名前のなかには入っていなくて「~ほか」扱いなので、こういう序列では下っ端のほうだとわかる。「~ほか」、皮が破れるほうの餃子を連想してしまう。