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ヨムヨムエブリデイ

皮が破れるほうの餃子

くっついた餃子と餃子をはがすとき皮が破れるほうの餃子だ


雑誌の隙間を埋める1~2ページの連載コラムが好きで、週刊誌、文芸誌、ファッション誌などそれぞれの雑誌にそれぞれ贔屓の連載がある。新しいところでは「文學界」の松浦寿輝の「遊歩遊心」なんかちょっと楽しみ。「本の雑誌」の石川美南「行間の広い本棚」も好きで、この数ヶ月の間にここで紹介された櫻木みわ『うつくしい繭』や神田茜『母のあしおと』を読みたくなり実際に読んだりもしたので、かなり打率が高いというか相性がいい連載と感じる。今月号は相原かろの歌集『浜竹』(青磁社)を取り上げ、そこで引用されていたのが上の短歌。こういうのに弱いんだな。ただのあるあるネタのようだけれど、もし自分が餃子だったら絶対皮が破れるほうだし、妙に気に入ってずっと頭の中で反芻している。

通勤読書は北村薫『うた合わせ 北村薫百人一首』(新潮社)。ブックオフかどこかで買ってそのままになっていたが、もうすぐ文庫化されるようなので悔しくて急いで読む。タイトルから最果タヒ百人一首という感情』のような百人一首を題材にしたものかと思い込んでいたら違った。色んな人の短歌と北村薫の解釈が読めて、散文好きの短歌シロートにはありがたい一冊。しかも最初に石川美南の歌が取り上げられていて、あ、こんなところに石川さん、と思った。

オレオ

朝、起きぬけに飲むあったかいコーヒーがおいしい。昨日の残りで弁当をこしらえる。暑いときは、ただそれだけで捨て鉢になったり投げやりになったりしたが、もう鉢は捨てないし、やりは投げない。弁当も作る。

前の連休あたりから読んでいた『夏物語』を読み終えた。第一部は『乳と卵』のリブートで、どこに手を入れているのか(京橋→笑橋とか)がわかって興味深かった。自分の思いはノートに書きつけているが、一切しゃべらなくなった拗らせた12歳の緑子に昔の自分をちょっと重ねたりする。クライマックスで「ほんとのことをゆうてや」と絞り出すようにやっと言葉を発した緑子が、8年後の第二部でどんな大人になっているのかが楽しみだった。普通にしゃべってんのか?緑子。そして第二部へ。

しかし川上未映子は緑子になかなか簡単にはしゃべらせてくれない。緑子なら元気やでとか、彼氏と旅行いってるわとか伝え聞くだけで本人は登場しない。やっと登場したと思ったら、LINEのやりとりの文面が記されているだけでしゃべる声は聞けない。実際に声が聞こえるわけではないけれど、鉤括弧でしゃべっている緑子をどうしても見たい。まあ緑子は後半のストーリーには直接関わらないし、このまま出てこないで終わっちゃうのかもなーとあきらめていると、ラスト100頁をきったあたりで「もしもし夏ちゃん、ひさしぶり」と電話越しではあるけれどいきなり登場して、緑子が普通にしゃべったあああって、それはもう「クララが立った!」くらい興奮した。しかも「せやで」とか「あかんわ」とか大阪弁で4頁以上もべらべらしゃべりまくる大サービス。そして最後にはナマ緑子まで。徐々に姿を現す緑子。これで緑子関係は気が済んだわ。あれだけ色んなことがあって揺れまくって最後はそれを選んだんだね、夏子さん。一番笑ったのは、乳首がオレオ(p.67)ってとこ。

『夏物語』の夏子さんも、柴崎友香『待ち遠しい』の春子さんもかっこよくて、世の中が少しずつ動いてるのを感じた。

こういうのでいいんだよ

2連休2日目の朝は雨。昨日は映画を見て友人とごはんを食べて夜更かししたので今日は休養日とする。雨で薄暗くて静かで涼しくて心地よくウトウトしていられる。

この夏の間ずっとベッド脇のテーブルにはルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』が置かれていて、一度通読したあと、気が向いたときに適当なページを開いて読むルシアン・ルーレットを楽しんでいるのだが、どのページにも弾丸が込められているのでハズレがない。「貧乏人は、とにかく並ぶ」(p.51)
早稲田文学増刊女性号」に掲載された「掃除婦のための手引き書」を読み、うわあ、この人の書くものもっと読みたい読みたい読みたいと思っていたところにきた『掃除婦のための手引き書』。発売予定日より何日か早く書店に平積み(しかもすごくイカした装幀で)されているのを見たとき嬉しくて、ほんとにハズキルーペをふんづけた人みたいに飛び上がってしまった。悠々として急ぎながら読んだ。ひっさびさにキタ━(゚∀゚)━! と思った。未訳の短編全部読みたいし、自伝とか回想記のようなものがあればそれも読んでみたい。ルシアと一緒に、寒い冬の朝、魔法瓶に詰めたコーヒーを飲みながら寝ころんでツルを見たい。
今年の夏はルシア元年として忘れられない夏になると思う。

午後遅くに雨があがる。TVerにあげられていた「孤独のグルメ」を順番に見ていく。アジフライの回と餃子・タンメン・豚すきの回がヤバくて、俺の胃袋にも火がついた。どうにもがまんできなくなり冷凍餃子を焼き、野菜たっぷり入りのサッポロ一番塩ラーメンを作る。もしDVの夫がいたら、なんだこの手抜き料理は!と顔が変形するほど殴られるかもしれないが、俺の胃袋はこれで大満足だ。これこれ、こういうのでいいんだよ、こういうので。

弱火

先月、9月の勤務シフトを組む際、9日に誰も希望を入れていなかったのでそこに代休を入れた。
港に散乱するコンテナ、炎上するソーラーパネル、倒れた電柱、人でごった返す駅の構内などの台風関連のニュース映像をベッドに寝そべったまま見ながら、いい日に休みを取ってくれたと先月の自分に礼を言う。恐れていたヘルプの出勤要請もなくホッとする。気圧の影響か妙に眠くて、弱火で煮込まれるようにトロトロトロトロ昼過ぎまで眠る。

やっと『夏物語』を読むかと開くも、なにしろ脳みそまで一緒に煮込まれているので集中力が続かず、代わりに『羽田圭介、クルマを買う。』(集英社)を読む。新車購入までの試乗ドキュメンタリー・エッセイ。羽田圭介はそんなに好きではないが、なんか気になるというか目が離せない感じがある。このめんどくささがいいのかも。

まだ明るいうちから、ひとっ風呂浴び、相撲を見ながら、再びトロトロ。窓の外が異様なオレンジ色に染まり、ベランダに出ると、ピンクのようなオレンジのような怖いくらいの夕焼け。手すりにもたれてしばらく見とれる。今日はじめて外の空気を吸った。暑かった。

なかなかたどり着かない

接近中の台風の予報円を見ると紀伊半島沖あたりで冗談みたいな角度で右折していて思わず笑ってしまった。しかし笑いごとではなく、たいしたことがなければいいが。

7月中旬頃、川上未映子の『夏物語』に備えて『乳と卵』を読み返したのにまだ本体にたどり着けていない。奥田英朗の『罪の轍』を読む前に、本田靖春の『誘拐』を読み返しておきたいし、高村薫の新刊『我らが少女A』は楽しみにしている合田刑事シリーズだけど、シリーズ前作の『冷血』を内容が非常に重たそうで読んでいなかったことに気づき、順番通りに読みたいからそっちから読まなければならない。ゴールポストを目指しているのに次から次へとタックルされて前へ進めない状況。でも、全然イヤじゃないです。むしろそれがいい。

そんな状況なのに、今週はひょんなことから、綿矢りさ『生のみ生のままで』を、上下巻一気読み。彩夏と逢衣が、中山可穂『白い薔薇の淵まで』の塁とクーチとちょっと重なった。

あと松田青子のエッセイ集『じゃじゃ馬にさせといて』。海外ドラマや映画ネタをそうそう!わかるわかる!と楽しく読みながらもぐっとくる場面がいくつもある。たとえば、イギリスの田舎町ノリッジに滞在している間「アジア人」として特別視されるのを感じていた筆者はその2週間後訪れたカナダの移民都市トロントでの体験を次のように記す。

 滞在最終日、大型書店に行った。私が探している本を調べてくれた白人の女性店員さんが、「下の階にあるから、このメモを持っていってね」と私を送り出した後、下の階の担当者にインカムで連絡をとっているのが聞こえた。「今から黄色いバッグを持った女性が下りていくからすぐわかると思う」。彼女は私の一番の特徴であるはずの「アジア人」という言葉を使わなかった。使わなくても、下で待っていた男性店員さん(この人も白人だった)は、すぐに私を見つけてくれた。それはとても心地の良い出来事だった。こんなに心地の良いことだとは知らなかった。(p.95) 

アニエス・ヴァルダとのエレベーターでの奇跡も印象深い。